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“413球”上野由岐子「人間的に嫌いなわけではない」 13年前、ソフトボール“奇跡の金メダル”を生んだ「小さな事件」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph bySankei Shimbun
posted2021/07/26 17:09
2008年北京五輪の決勝で米国を破り、上野由岐子(左)をねぎらう斎藤春香監督(当時)
「自分がやってきたことを出し切るためにも変な遠慮はもうやめようと思いました。メディアとかにも最後は自分が全部投げるって言い続けて、そういう雰囲気をつくった。これまでエースとして、いろんな重圧を背負ってきたのでそれぐらいのアピールは許されるだろうって。これ以上オリンピックの舞台を誰にも壊されたくなかったんです」
これまで宇津木の元では「右向けと言われたら右を向いていた」という上野が初めて見せた強い自己主張だった。だがここでも斎藤の認識は微妙な食い違いを見せる。
「中国戦のあと、部屋に上野を呼んで個人的に話をしました。わかってやれなくてごめんな、と。それで、これからは上野の活曜する番だから頼むぞ、って伝えたんです。あれで共通認識は持てたと思っています」
このあたりが指揮官と選手の関係のおもしろいところだ。親子でいえば、完全に親離れした子と、それに気づかず未だ子離れができない親の関係に似ている。そして親離れした子が強いのと同じように、監督の手を離れていった選手ほど頼もしい存在はない。
上野がまとめ役として絶大なる信頼を置いていた副キャプテンの伊藤幸子は話す。
「監督の言うことはもちろん、さらに自分たちでも考えてやっていこうと言い合っていました。あらゆることを超えていこう、って」
伊藤は何度も「超えて」という表現を使った。それはどこか「飲み込んで」というニュアンスに近かった。選手たちは監督と対立していたわけではない。それは大会前、優勝したら監督に渡そうと手作りの金メダルをつくっていたことからも、また、表彰式の直後、斎藤を3回胴上げしたことからもうかがえる。上野も「人間的に嫌いなわけではない」と斎藤に対する思いを強調する。
「バカ役は計算してやってたんです」
斎藤は2年前、代表チームの監督に就任したときこう考えたのだという。
「これは総監督の井川(英福)さんと一致した意見だったのですが、監督に依存させちゃダメだと。宇津木さんは、カリスマ性があって、素晴らしい監督でした。でも選手が頼り切ってしまう可能性がありましたからね」
だから、斎藤も自立したチームになるよう意図してはいたのだ。ただ、実際にそのきっかけとなったのは、誤解を恐れずに言えば、斎藤の指揮官としての頼りなさだった。でも斎藤もそれを認める。
「自分自身、頼りなく見えた方がいいと思っていましたので。それで選手が育っていってくれるなら。上野も自分のとった態度を気にしていたのかもしれませんが、私からしたらぜんぜんオーケーですよ。今までが物静かで、謙虚で、黙々とやる方でしたからね」
度量が大きいのか、それとも、本人が言うようにただ「本質的にのんびり」としているだけなのか。そのあたりが実に読みづらい。
現役時代の斎藤と監督になってからの斎藤は別人格だと誰もが口をそろえる。選手の頃の斎藤は、チーム一の大酒飲みで、青森弁で吉幾三を熱唱するなど、伊藤いわく「天然系キャラ」だったそうだ。しかし斎藤は明かす。