プロ野球PRESSBACK NUMBER
「拷問を受けているよう…」監督の退任決定→西武選手たちが大歓声でバンザイ…伊東勤(62歳)が今明かす「一番嫌だった」記憶とは?
posted2025/03/01 11:01

西武の監督に就任し、記者会見する広岡達朗(中央)。左は根本陸夫管理部長、右は宮内巌球団社長
text by

伊東勤Tsutomu Ito
photograph by
JIJI PRESS
1980年代から90年代にかけて「最強軍団」と称された西武ライオンズの黄金期。正捕手としてチームを牽引し、現役引退後は西武、ロッテの監督を歴任した伊東勤が明かす、監督・広岡達朗の素顔――。『黄金時代のつくり方 - あの頃の西武はなぜ強かったのか -』(伊東勤/ワニブックス刊)から抜粋して紹介する。《全3回の初回/第2回、第3回に続く》
◆◆◆
広岡さんの野球というのは、守備重視でしたから、とにかくプレーは基本に忠実であれ。日々基本練習の反復でした。基本練習って本当につまらないんです。キャッチャーは特にそうです。これを毎日徹底してやらされました。
シーズンに入っても休みというものがありませんでした。移動日でも、移動した先で体を動かしていました。グラウンドがあれば、そこで練習もしました。本当に休むということがありませんでした。
ADVERTISEMENT
試合のない月曜日も練習していました。こんなに休みがないチームも珍しいと思いました。特別な休みといえば、オールスター休みぐらいです。それだって1日だけとかでしたが。
楽しい思いは、ほとんどない
一番強烈だったのは、レギュラーとして出た1983年の日本シリーズのあと。そこで頑張って日本一になって、これで少し休めると思ったのですが……休みはわずか2日ぐらい。日本シリーズが終わって3日目には、西武第2球場で、秋季練習が始まっていました。
もちろんベテランの選手は、ある程度休み期間はあったように思いますが、我々は練習に参加させられました。
とにかく暇さえあれば練習というのが、その時代でした。ベテランも最初のうちは顔を出していたかもしれないですが、逆に練習の邪魔になるんです。厳しいハードな練習をするのですが、その練習に当然付いてこられない。だから毎日しんどくて、楽しい思いというのが、ほとんどありません。