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大林素子54歳が明かす“バレーは生きるか死ぬか”「ボールはね、落としたら死ぬ、自分の寿命みたいな存在でした」
text by
河崎環Tamaki Kawasaki
photograph byShigeki Yamamoto
posted2021/07/14 11:03
現役引退から25年が経った大林素子さん(54)
「バレーとの出会いは『ここなら生きていけるかも』という入口でした。バレーが好きとか憧れだとか、そんなキラキラとした綺麗なものは1個もなくて。勝つか負けるか、生きるか死ぬか。私はオリンピックに行くしかなかった。
その根底には、バレーボールでオリンピックに行けなかったら一生いじめられるとか、一生胸張って外を歩けない、みたいな気持ちがありました。生きるために他の人よりもバレーをやらなきゃ、勝たなきゃ、オリンピック行かなきゃっていう気持ちがもう半端なくあったと思います。好きとか楽しいなんて後付け」
戦場を見てきた人間の目とはこんな感じなのかもしれない、とふと感じた。もしかすると、心の底から世を呪ったことがある人の目。だが努力と知恵で生き延びることを知り、だからこそ自分の努力の質量だけを信じている人間の目だ。
「もちろん、やっていくうちに、結果としてどんどん楽しくなる。ただ私は楽しいとか好きとか、バレーボールで使うことはあまりないですね。そんな簡単な言葉で私は表現しないですね。私はね」
大林をここまでバレーボールに向かわせた“暗黒時代”は、今でもその影を残している。
絶望の中で「ちょっとだけ神様が生きる場所をくれた」
「子どもの頃、人前では泣けなかったんです。家に帰って泣いてた。感情を出すということが、もうできなくなっていたんでしょうね。いじめがあまりにひどすぎて、ひきつっていました。だから子どもの頃の写真を見ても、いつも後ろの端だし、笑ってるのもない。大人になってエンタメの仕事をしていても、いまだにどこか、センターにいちゃいけないんじゃないか、みたいに思っちゃう。自分がメインの現場でも、後ろ行かなきゃって」
高身長を理由にいじめられる少女時代。それは大林の感情をズタズタにし、自尊心を剥ぎ取っていった。
「否定され続けて、自分は大きいからできないんだ、だめなんだ、自分は選ばれないんだという絶望感しかなかった。バレーと出会って、ちょっとだけ神様が生きる場所をくれたんです」
いじめから生き延びるためにバレーで勝ち、生きるためにオリンピックに行った、とこの人は話しているのだ。こんな国民的な有名人の、3度の五輪出場という“名誉”の背景にここまでのひりつきや絶望があったのかと、愕然とする。ただ、淡々と話す大林の様子は、変わらず冷静そのものだった。