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大林素子54歳が明かす“バレーは生きるか死ぬか”「ボールはね、落としたら死ぬ、自分の寿命みたいな存在でした」

posted2021/07/14 11:03

 
大林素子54歳が明かす“バレーは生きるか死ぬか”「ボールはね、落としたら死ぬ、自分の寿命みたいな存在でした」<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

現役引退から25年が経った大林素子さん(54)

text by

河崎環

河崎環Tamaki Kawasaki

PROFILE

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Shigeki Yamamoto

 184センチという、バレーボールの神様から授かったともいえる身長。だが子どもの頃から、抜きん出て背が高いのを理由にいじめられ、「絶望しかありませんでした」と話す。死ぬことも考え、感情を引きつらせていた12歳の少女は、死なずに世の中に「復讐」することを選んだ。生き延びるために選んだバレーは、スポーツでもゲームでもなく、大林素子にとって「生きるか死ぬかの戦い」だった。

 負けたら自分は本当に死ぬかもしれないとの思いで臨んだ3度のオリンピック。だが、結果として一つもメダルを手にすることのなかった過去を、「勝てなければ全ておしまい。全否定です」とまっすぐ視線を外さずに言い切る。人当たりも語り口も柔らかいが、自分自身にも取材者にも、甘えや逃げを許さない。耳触りのいい言葉や、ありふれたエモい表現や、予定調和に落とすことを許さない。

 自身について「武士でした」と話すオリンピアン大林素子は、どうやってこの地点へ辿り着いたのか。トップアスリート、スポーツキャスター、女優……マルチな活躍で、唯一無二の立ち位置を築いている彼女に、その半生を聞いた(全3回の1回目/#2#3に続く)。

◆◆◆

「夢の全てをいじめによって踏み潰され、壊され……」

「はじめまして。今日はよろしくお願いします~!」。挨拶ひとつで部屋の中がパッと明るくなる。まさに、陽性の人だ。

 ソウル、バルセロナ、アトランタと、80~90年代に3度の五輪へ出場したオリンピアン。全日本女子チームの元エースとして、日本中にその顔を知られる。すったもんだはあったものの、海外リーグのチームにも所属していた時期のある、いわば開拓者だ。恵まれた長身に、手足の長い抜群のスタイルと親しみやすい話術で、バレー引退後はスポーツキャスターやタレント業、女優業などマルチな活躍をし、「お笑い好きの大林素子」としてもあちこちのお笑い番組に顔を出す。

 きっと見晴らしの良い人生だったに違いないというこちらの勝手な憶測は、しかし、話を聞く先から急激に修正を迫られた。

「私には、子どもの頃から“大きい”ということで壮絶にいじめられた時代があったので。本当は今のようにエンタメの、歌ってお芝居をするということが元々私のやりたいことだったんです。その夢の全てをいじめによって踏み潰され、壊され……。もう自分には何もない状況で、唯一救ってくれたのがバレーボール」

「大女!」と罵られ続けた凄絶ないじめ経験。はっきりとよく通る声で、歯切れ良く話してくれるが、大林の目は決して笑わない。

【次ページ】 「五輪に行けなかったら一生いじめられる」

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