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大林素子54歳が明かす“バレーは生きるか死ぬか”「ボールはね、落としたら死ぬ、自分の寿命みたいな存在でした」
text by
河崎環Tamaki Kawasaki
photograph byShigeki Yamamoto
posted2021/07/14 11:03
現役引退から25年が経った大林素子さん(54)
勝つ以外は選択肢にない中で、勝てない自分たちを追い込み続ける。尋常な精神力ではない。「コートの中で涙を見せるなんてありえない。オリンピックに行くまで泣くなんてありえないから。泣いて逃げてんじゃねーぞ、ですよ。嬉し泣きもないです。そこまで喜ぶ試合なかったし」
思わず絶句する。それでも大林は追い打ちをかけるように「ボールはね、落としたら死ぬみたいな、自分の寿命みたいな存在でした」と続けた。
「代表で戦ってた主力選手、もっと言えばキャプテンやエースというのは上乗せされる責任が大きいので、背負っているものもまた違う。私はソウルからずっとエースだったので、私が打って決めれば勝てる、決めなきゃ負けるっていう思いでした。だから負けたら死ぬって、本当に思っていた。
選手として戦いに行くときも、負けたら生きて帰ってこられないみたいな意識があって、完全に武士でしたね。実際、五輪から帰ってきたら空港でももの凄く叩かれるし。ソウルから帰りの飛行機は、このまま日本に着かなきゃいいのにって、中田久美さんとも話してました」
東洋の魔女時代から引き継がれた「魂というか、思想」
その時代の代表チームの強い繋がりは、部外者の想像にも及ばない。
「私がエースと言っても、私のところまでボールが来なければ、勝負にもならない。そこまで拾ってつないでトスをくれる人がいてはじめてエースなんです。だからあのソウルやバルセロナぐらいまでのかたまり感というのも、東洋の魔女時代から引き継がれたバレーのシステムというか、思想というか、魂があって。バルセロナ以降くらいから、バレーボールの付き合いやチームの作り方も変わっていきました。ひとつの単独チーム中心ではなく寄せ集めというか、ちょっと男子バレー的にシステムが変わっていったんです」
時代が変わった。日本のバレーのあり方も変わり、戦い方も変わったのだ。
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