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死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」から45年&ファン暴動で新日本プロレス無期限出禁も…「武道館と国技館の格闘技伝説」
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph byGetty Images
posted2021/06/22 17:02
45年前、1976年6月26日に武道館で行われた伝説の死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」
「WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ・王者鬼塚勝也対アルマンド・カストロ」(1992/12/11)。翌年の秋には同じく鬼塚勝也の防衛戦「タノムサク・シスボーベー戦」(1993/11/5)が行われている。何度も繰り返すが野外で、門仲からバスで30分の立地である。どうやって人が集まったのだろう。
翌年の真夏には「WBC世界フライ級タイトルマッチ・王者勇利アルバチャコフ対挑戦者ウーゴ・ソト」(1994/8/1)と「WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ・王者川島郭志対挑戦者カルロス・サラサール」(1994/8/7)が挙行されている。筆者は前者の世界戦を観戦している。野外と言ってもすり鉢状で、蒸し風呂のような暑さは今も忘れようがない。挙句に一緒に行った友人の言い分に従って、地下鉄豊洲駅から30分ほど歩いた記憶もある。いずれにしても、立地の悪さとゲリラ豪雨の危険性も厭わず、こうまで頻繁に開催を決めたことに驚嘆するしかない。
屋根が設置され、ゆりかもめが開通してからも、数々のビッグイベントが開催されている。PRIDEシリーズの初お目見えとなった「PRIDE.8」(1999/11/21)では「桜庭和志対ホイラー・グレイシー」が実現。超満員のファンを熱狂させたのは今も記憶に新しい。
──と、挙げていった「こけら落とし」と「初お目見え」の歴史だが、このほど完成した4つの新会場も、この先かくなる物語が紡がれることになるのだろうか。筆者の関心はそこにある。
また、さいたまスーパーアリーナや、日本ガイシホール、東京体育館、等々、今回採り上げなかった会場については、改めて別の機会に振り返ってみたい。
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