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死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」から45年&ファン暴動で新日本プロレス無期限出禁も…「武道館と国技館の格闘技伝説」 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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posted2021/06/22 17:02

死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」から45年&ファン暴動で新日本プロレス無期限出禁も…「武道館と国技館の格闘技伝説」<Number Web> photograph by Getty Images

45年前、1976年6月26日に武道館で行われた伝説の死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」

 これ以降、両団体ともコンスタントに国技館興行を行ったが、次第に雲行きが怪しくなる。この翌年、不祥事で相撲協会から実質上追放された花籠親方こと元横綱の輪島大士が全日本プロレス入り。さらに、現役の幕下力士の琴天山(ジョン・テンタ)、元十両力士の卓越山(高木功)、元十両力士の玉麒麟(田上明)と角界からの転向組が頻出すると、全日本プロレスは国技館興行を見合わせるようになる。

 それとは無関係に、シリーズ最終戦ごとにビッグマッチを打ってきた新日本プロレスだったが「イヤー・エンドイン・国技館」(1987/12/27)で不透明決着に激怒したファンが暴動を起こしたことで、日本相撲協会より無期限使用禁止が言い渡されてしまう(89年2月に解除)。

 つまり、メジャー2団体が国技館を使用できない期間があったことになる。武道館興行の頻度が80年代後半にかけて増えた理由の一つであるのは間違いない。

後楽園ホール以外で一番観戦に適した会場

 プロボクシングの初お目見えは「WBC世界スーパーライト級タイトルマッチ・王者レネ・アルレドンド対挑戦者浜田剛史」(1986/7/24)で、劇的なKO勝ちを収めた浜田が王座を獲得。それ以降も、初防衛戦の「ロニー・シールズ戦」(1986/12/2)、王座を奪い返された「アルレドンドとのリターンマッチ」(1987/7/22)と80年代に行われたボクシング興行は浜田の世界戦が独占している。

 90年代に入っても「WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ・王者鬼塚勝也対挑戦者李承九戦」(1994/4/3)や「WBC世界フライ級タイトルマッチ・王者勇利アルバチャコフ対挑戦者渡久地隆人」(1996/8/26)、「WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ・王者崔龍洙対挑戦者畑山隆則」(1997/10/5、1998/9/5)など数々の名勝負が行われている。

 筆者の個人的な所感だが、どの位置からも見やすい国技館は、後楽園ホール以外で最も観戦に適した会場ではあるまいか。ただしそれは「升席における他の客との兼ね合い」という問題点が解決されたらの話ではあるのだが。

門前仲町駅からバス30分のアクセス

 オリパラにおけるテニス競技のすべてが集約されているのは、有明テニスの森。そのメイン会場が有明コロシアムになるのは言うまでもない。

 バブル真っ只中の1987年落成。「ゆりかもめ」も「りんかい線」も開業していなかったこの時期、地下鉄門前仲町駅からバスで30分という立地の悪さに愕然とする。

【次ページ】 「新生UWFは有明コロシアムで運を使い切った?」

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