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死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」から45年&ファン暴動で新日本プロレス無期限出禁も…「武道館と国技館の格闘技伝説」
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph byGetty Images
posted2021/06/22 17:02
45年前、1976年6月26日に武道館で行われた伝説の死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」
それでも、こけら落としは派手に行われた。テニスの国際大会「サントリー・ジャパンオープン」(1987/4/13~19)で、イワン・レンドル、ステファン・エドベリ、ジミー・コナーズら世界の強豪を、福井烈、松岡修造、白石正二といった日本トップ選手が迎え撃つ豪華版である。その後も全日本選手権をはじめ、テニスのビッグマッチが幾度となく開催されてきた。
「新生UWFは有明コロシアムで運を使い切った?」
テニス以外で初めて行われた大きな興行が、やはりここもプロレスだった。
前出の暴動騒ぎで国技館が使用できなくなった新日本プロレスは、交通の便の悪さに目を瞑り、この有明コロシアムに着目する。「IWGPヘビー級王座決定戦・藤波辰爾対ビッグバン・ベイダー」と「異種格闘技戦・山田恵一対ドン・中矢ニールセン」(1988/5/8)の二大マッチが初お目見えにラインナップされた。このとき、客席にいた骨法創始者の堀辺正史と試合を終えたニールセンのいざこざから、次回大会で「堀辺正史対ドン・中矢ニールセン」の実現が期待されるも、結局対戦することはなく、現在では両者とも他界している。
新生UWF初のビッグマッチ「真夏の格闘技戦」(1988/8/13)もこの有明コロシアムで華々しく行われた。台風が関東地方を直撃し前日まで豪雨に見舞われながら、当日は嘘のような晴天。しかし、メインイベント「前田日明対ジェラルド・ゴルドー」が終わったと同時に再び雨が降り出すという目まぐるしさに「新生UWFは、実は有明コロシアムで運を使い切ったのかも」という噂は、あながち外れていないのかもしれない。
「桜庭和志対ホイラー・グレイシー」の熱狂
翌年、歴史に残るスポーツイベントも行われている。初の野外開催となった「日ソ対抗バレーボール」(1989/7/30)である。交通の便も悪い上に、屋根が設置される前で雨天中止のリスクも大きかったにもかかわらず、精力的なイベント開催には目を見張る。
ボクシング興行も、不思議なことにこの時代の方が多い。初お目見えはなんと真冬。