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死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」から45年&ファン暴動で新日本プロレス無期限出禁も…「武道館と国技館の格闘技伝説」
posted2021/06/22 17:02
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
Getty Images
「2020オリパラ」で柔道と空手の会場となっているのが、“武道の聖地”こと北の丸の日本武道館である。1964東京五輪の柔道の会場として建てられたことはよく知られた話だ。
しかし、最初に行われた競技は意外や柔道ではない。公開競技武道(剣道、弓道、相撲)のデモンストレーションで(1964/10/15)、正式種目の柔道が行われたのはその後だった(1964/10/20~23)。ちなみに、五輪閉幕後に初めて開催された大会は「第12回全日本剣道選手権(天皇杯)」(1964/11/29)と、武道の行事が集中している。ここまでをこけら落としと呼ぶべきかもしれない。
では、武道競技以外で初めて行われたスポーツイベントは何か。それがプロボクシングの初お目見えとなる「世界バンタム級タイトルマッチ・王者ファイティング原田対挑戦者アラン・ラドキン」(1965/11/30)だった。それ以降、66~69年にかけて堰を切ったように、8つもの世界タイトルマッチが行われている。
特にファイティング原田は初防衛のラドキン戦から、リターンマッチとなった「エデル・ジョフレ戦」(1966/5/31)、大接戦を制した「ベルナルド・カラバロ戦」(1967/7/4)、王座陥落となった「ライオネル・ローズ戦」(1968/2/27)と5つの防衛戦のうち4つも武道館のリングで戦っている。
「アントニオ猪木対モハメド・アリ」
また、世界ヘビー級のタイトルマッチも武道館で行われた。今では常識となった2試合抱き合わせの世界戦興行も武道館が初開催となる。「統一世界ヘビー級タイトルマッチ・王者ジョージ・フォアマン対ジョー・キング・ローマン」と「WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ・王者リカルド・アルレドンド対挑戦者柏葉守人」(1973/9/1)がそうだ。
また、元世界ヘビー級王者のモハメド・アリは、リング復帰から2年後に初来日をはたし、マック・フォスターとノンタイトルマッチを行っている。その会場も日本武道館である(1972/4/1)。その後、フォアマンを破って王者に返り咲いたのち「格闘技世界一決定戦」と銘打ってアントニオ猪木と異種格闘技戦を戦ったのも武道館だった(1976/6/26)。アリが日本で戦った試合はいずれも日本武道館で、世界戦と無縁となるのは興味深い。
K-1誕生のきっかけだった「佐竹雅昭のKO勝ち」
プロレス興行の初お目見えは、オープンから2年後の日本プロレス主催「ウィンターシリーズ」(1966/12/3)。メインイベントは「ジャイアント馬場対フリッツ・フォン・エリック」のビッグマッチが組まれている。