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二軍から復帰、巨人・戸郷翔征がまた勝てるようになったワケ…あの沢村賞投手もハマった“ツーシームの罠”とは? 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/05/24 17:04

二軍から復帰、巨人・戸郷翔征がまた勝てるようになったワケ…あの沢村賞投手もハマった“ツーシームの罠”とは?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

5月18日、二軍から復帰2戦目で今季3勝目をあげた巨人・戸郷

 いまは楽天で活躍し、今季も開幕投手を務めたベテランの涌井秀章投手である。

 横浜高校から2004年のドラフト1巡目指名で西武に入団した涌井は、ルーキーイヤーの05年に初勝利を挙げると、翌06年からローテーション投手となって12勝をマーク。その後はエースとなり日本ハム時代のダルビッシュ有投手(現サンディエゴ・パドレス)の最大のライバルとして、2人の投げ合いは、当時のパ・リーグ熱を沸騰させた大きなコンテンツの1つともなっていた。

 その中で涌井が本格的にツーシームを使い出したのが08年のシーズンだったのである。

 その新球を武器に09年には16勝をマークして、最多勝のタイトルを獲ると共に沢村賞も受賞。翌10年も14勝してエース街道を順調に歩んでいるように見えた。

 ところが、である。

最多勝、沢村賞受賞の翌々年に成績が急降下

 直後の11年に成績が急降下して9勝12敗と3つの負け越しを記録すると、12年にはわずか1勝に終わってしまう。そうしてロッテに移籍した後の15年に15勝を挙げるまで、長い低迷期を過ごすことになるのである。

 そのときの低迷を、後に本人が「ツーシームを覚えたことがきっかけだった」と述懐していたという話を聞いた。

 ツーシームを覚えて、それこそ面白いように簡単に相手打者を打ち取れるようになった。「もっと曲げれば」という欲の結果、肘が知らず知らずに下がっていって、フォームを崩してしまった。するとそれまでは最大の武器だったスライダーがおかしくなってしまったのである。真っ直ぐの軌道からピッと鋭く曲がっていたスライダーのキレがなくなり、勝負球を痛打され出してしまった。フォーム的にも肘が下がったことで、負担が大きくなって肘痛にも悩まされるようになった。迷路にはまり込む元凶が、ツーシームだったのである。

【次ページ】 “次世代エース”の必須の課題かもしれないが……

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