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【追悼】「リバプール復興の始まりはウリエの監督就任だ」名DFキャラガーが天国の名伯楽に捧げる秘話と「一生の思い出」
text by
フィリップ・オクレールPhilippe Auclair
photograph byGetty Images
posted2021/05/15 17:01
昨年末に他界したウリエ。リバプールのレジェンドがフランス人指揮官の思い出を語る
練習への取り組み方や体のメンテナンス方法、それらの大切さを教えてくれたのもジェラールだった。だから、選手として成長するだけじゃなく、最後までトップレベルで現役生活を続けることができたと思っている。
リバプールヘの愛着は本当に強かった。若い頃、教員としてやって来たこの町で市民の姿に触れて、ファンに混じって試合を観ていた過去があるから、リバプールの何たるかが“分かる人間”だったんだ。
試合中のベンチで胸に痛みを覚えて緊急手術を受けることに
監督としても地元との結び付きを大切にしていた。往年の生え抜き選手だったフィル・トンプソンや、サミー・リーをチームスタッフに迎えたこともそう。そういったあたりも、本当にイケてたねぇ。ジェラールがリバプールの人々にどれだけ敬愛されているかが、祖国のフランスでも理解されているといいんだけどな。
またサッカーに対する情熱は、彼自身が惹かれたリバプール市民にも負けていなかった。ジェラールほどサッカーにぞっこんの人物には、いまだにお目にかかれない。本当さ。
監督時代は、きっと寝ても覚めてもチームのことが頭から離れなかったと思う。それが、心臓に負担をかけてしまった一因だったんじゃないかという気もしている。ずいぶん前のことになるが、試合中のベンチで胸に痛みを覚えて緊急手術を受けることになった、あのアンフィールドでのリーズ戦(2001年10月13日)のことは忘れられない。リバプールを再び国内外の頂点に立たせたい一心で、それこそ不眠不休でハードワークを重ねたことでああなってしまったんじゃないか……そう思えてならない。
リバプールとの絆は、クラブを去った後も弱まらなかった。アストンビラの監督としてアンフィールドに戻って来た時も(2010年12月)、会見に臨む姿を見て、リバプールの監督をしているような錯覚を覚えたよ。