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【追悼】「リバプール復興の始まりはウリエの監督就任だ」名DFキャラガーが天国の名伯楽に捧げる秘話と「一生の思い出」
text by
フィリップ・オクレールPhilippe Auclair
photograph byGetty Images
posted2021/05/15 17:01
昨年末に他界したウリエ。リバプールのレジェンドがフランス人指揮官の思い出を語る
改善の必要性をクラブに訴え、実際に変えていった
誰よりも、リバプールを21世紀に導こうと情熱を注いでいたよ。就任当初クラブの練習環境を目の当たりにして、世界的な強豪レベルにまったく及ばないと痛感したのだろう。ジェラールは改善の必要性をクラブに訴えて、実際に変えていったんだ。
俺に言わせれば、ジェラールの監督就任がリバプール復興の始まりだ。
90年代は無冠ではなかったが、成功という言葉は使えない。彼の下で、再びヨーロッパの強豪と呼ばれるに相応しい姿を見せ始めることができたんだ。国内外でトロフィーを獲得して、大陸側の名だたる敵地に乗り込んで結果も残した。ローマでの勝利(2001年2月UEFAカップ、2-0)や、バルセロナでのスコアレスドロー(01年4月UEFAカップ準決勝、0-0)。UEFAカップとスーパーカップでタイトルを手にし、ヨーロッパ最高峰の戦いにも初めて参戦した(いずれも01年)。
ラファエル・ベニテス時代に成し遂げた2005年のチャンピオンズリーグ優勝にしても、チームの核はジェラールの時代に出来上がっていた。監督交代後のチームには当時の主力が5、6名残っていた。
21世紀最初の10年間には成功という言葉が当てはまるし、すべてジェラールの就任がきっかけだ。監督として背負った任務の中でも、リバプールを国内外で優勝候補として復活させること以上の困難とプレッシャーを伴う仕事はなかったと思う。試合数の多さにも耐えられるだけの総合的な戦力と体力、そして精神力を備えたチームに作り変えること。その大仕事をジェラールはやってのけたんだ。
教員としてやって来たこの町でファンに混じって試合観戦
“完パケ”と言える指揮官だった。よく、あの監督は優れたマン・マネージャーだとか、この監督は純粋なコーチ風だとか言われるけど、ジェラールはすべてを持ち合わせていたと思う。
特に、指導者としての豊かな知識には敬服させられたよ。自分を含めて当時の若手は、そんな監督が頷いてくれるようなプレーをしようと練習から必死だった。一見シリアスに見えるから、初めは厳しい先生が担任になった生徒のような気分で緊張したし(苦笑)。
それが、実際に接してみたら優しい言葉もかけてくれるし、凄く人間味のある監督でね。選手自身はもちろん、選手の家族に対しても思いやりがある。監督である以前に人として尊敬できる人物だったから、チームを束ねて成功に導くことができたのだろう。
ジェラールの指導を受けていなかったら、自分がリバプールの選手のまま現役を終えることは難しかったと思う。たぶん、無理だっただろうな。