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阪神レジェンドは何と戦っていたのか… 2010年金本知憲「まだ出来るから(笑)」、1985年掛布雅之「ハレー彗星のおかげ」
posted2021/04/23 06:00
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Kyodo News
<名言1>
ワハハハ。まだ出来るから(笑)。
(金本知憲/Number776号 2011年4月7日発売)
◇解説◇
2000年代のタイガースを語る上で欠かせないスラッガーと言えば金本だ。2002年オフ、FA宣言した金本は星野仙一監督(当時)のラブコールを受ける形で阪神に入団。勝負強いバッティングで2度のリーグ優勝に貢献し、打率.327、40本塁打、125打点をマークした2005年にはMVPにも輝いている。
そんな金本が“衰え”を指摘されたのは、2010年のことだった。オープン戦で右肩を負傷した影響で守備での不安が目立つようになり、連続フルイニング出場が「1492」でストップした。それについて問われると「ぜんぜん、何とも思ってない。それよりもチームに迷惑かけたこととか痛みのひどさ、そっちの苦しみの方が大きかったからね」と振り返っている。
その一方で「なぜ野球を続けるのですか?」と問われると、豪快に笑って冒頭の言葉を口にしたという。バッターとしてのプライドは持ち続けていたのだ。
ちなみに現役ラストシーズンとなった2012年、打撃面で残した数字は打率.258、6本塁打、30打点。金本がこの年に44歳となったことを踏まえれば、恐るべきものだ。
「弱い時の方が勝ったら喜んでくれたわな(笑)」
<名言2>
2年は休養やね。現場、しんどいわ……。
(岡田彰布/Number729号 2009年5月21日発売)
◇解説◇
早稲田大学の同級生である岡田武史氏に「もう現場には戻らんのかい?」と問われた際の回答だ。
2021年開幕時点で阪神をセ・リーグ制覇に導いた最後の監督は岡田である。北陽高校から早大を経て、強打の内野手として1985年のリーグ優勝に大きく貢献。指導者に転身後は2003年に一軍内野守備走塁コーチとしてリーグ制覇の一員となると、その年のオフに退任した星野仙一監督の後を受けて、球団史上初の「大阪府出身監督」となった。