酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
大谷翔平が書き換えた大リーグの“あるルール”… ベーブ・ルースや川上哲治、藤村冨美男らの“二刀流記録”はどうだった?
posted2021/04/12 17:03
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Getty Images
大谷翔平の快進撃が止まらない。本塁打は早くも3本。打率も上がって打点も稼いでいる。盗塁までしている。おまけに、ローテーション投手としてマウンドにも上がるのである。
ざっくり言えば、野球の歴史は「分業化の歴史」だった。大昔の野球は、投手も1人の野手であり、打線に連なってバットでもチームに貢献していた。しかし、次第に投手は投げることに専念して、打線では下位を打つ補助戦力になった。さらにDH制の導入によって、打者と投手は完全に「違う仕事」になった。
そして投手は、昔は先発もすれば救援もした。しかしセーブ制の導入をきっかけに先発と救援は次第に分業が進んだ。さらにホールド制の導入で救援投手も「クローザー」と「セットアッパー」に分かれるようになった。
いわば野球は「総合職」から「専門職」へと分化していく歩みを続けてきたのだ。
野球の進化に逆行しているのに超一流
大谷翔平は、そういう野球の進化に逆行している。「分化、分業」がどんどん進む中で、大谷はほとんどただ一人「投げて、打って、おまけに走って」いるのだ。今どきの選手ではない。
大谷翔平のような「二刀流」の選手は、今後は出てくる可能性は大いにあるが、現時点で比較できる選手はいない。すべて過去の、分化、分業が確立される前の選手ということになる。
いろんな観点から「大谷翔平に似た選手」を日米でピックアップしよう。
ルースの二刀流はほぼレッドソックス時代
〇ベーブ・ルース(1918年~1919年)
大谷を語るときに、100年前のこの打者がよく引き合いに出される。ルースはレッドソックス時代は左腕エースとして活躍したが、特に1918年と19年は打力を活かすために外野、時には一塁も守る「二刀流」だったのだ。1920年、ヤンキースに移籍してから打者にほぼ専念し、投手としては5試合しか投げていない。大谷と比較できるのは「レッドソックス時代のルース」ということになる。