酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
大谷翔平が書き換えた大リーグの“あるルール”… ベーブ・ルースや川上哲治、藤村冨美男らの“二刀流記録”はどうだった?
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byGetty Images
posted2021/04/12 17:03
ベーブ・ルースはもちろん、川上哲治も投手成績を残したが、大谷翔平への期待値はそれと同等以上のものがある
<この時期のルースの成績>
1918年
・投手 20試13勝7敗166.1回40三振49四球 率2.22
・打者 95試317打95安11本66点6盗 率.300
1919年
・投手 17試9勝5敗133.1回30三振58四球 率2.97
・打者 130試432打139安29本114点7盗 率.322
1918年は本塁打王、19年は本塁打、打点の2冠王。この時期までのMLBではシーズン10本打てば「ホームランバッター」だった。そんな中で19年の29本塁打は衝撃的で、そのためにルースはヤンキースでは打者一本でいくことになった。
なおルースは1916年に1.75で防御率1位になっている。MLBで20世紀以降、投打で主要タイトルを獲得した選手はルースだけだ。
ルースは「4番投手」で何本塁打を放った?
なおこの時期、投手として出場した際のルースの打撃成績を打順別にまとめるとこうなる。
1918年
4番/11試38打13安0本5点0盗 率.342
7番/1試2打0安0本0点1盗 率.000
9番/7試21打8安2本7点1盗 率.381
1919年
4番/14試53打13安3本11点1盗 率.245
9番/3試8打1安0本1点0盗 率.125
ルースは「4番投手」で2年間に25試合に出場し、1919年に3本塁打している。
大谷は「2番投手」で出場して話題になったが、日米問わずこれまでの「2番打者」は、「つなぐ、出塁する打者」だった。2番打者が中軸打者の打順になったのは21世紀になってからだ。ルースが100年後にプレーしたら「2番投手」で出場した可能性はあっただろう。