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大谷翔平が書き換えた大リーグの“あるルール”… ベーブ・ルースや川上哲治、藤村冨美男らの“二刀流記録”はどうだった? 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2021/04/12 17:03

大谷翔平が書き換えた大リーグの“あるルール”… ベーブ・ルースや川上哲治、藤村冨美男らの“二刀流記録”はどうだった?<Number Web> photograph by Getty Images

ベーブ・ルースはもちろん、川上哲治も投手成績を残したが、大谷翔平への期待値はそれと同等以上のものがある

大谷以外で「2番投手」でプレーした選手は2人

 なお、大谷以前に「2番投手」として先発出場した選手としてはワシントン・セネタースのワッティ・リー、セントルイス・カーディナルスのジャック・ダンリービーという2人が知られている。

 リーは1902年9月1日のタイガースとのダブルヘッダー2戦目に「2番投手」で先発し、3打数無安打、投手としては8回自責点9で負け投手になっている。ダンリビーは1903年9月7日のレッズ戦に「2番投手」で先発し、4打数無安打、投げては9回7失点で負け投手になった。

 つまり大谷は20世紀以降「2番投手」で初めて安打、本塁打を打った選手ということになる。

 20世紀初頭まではMLBでも投手と打者を掛け持ちする選手はいたが、分業が進み、1910年以降ではベーブ・ルースをほとんど唯一の例外として「二刀流」の選手はいなかったのだ。確かに大谷は歴史的な存在と言える。

NPBでは大谷と比較可能な選手は結構いる

 ただし、日本のプロ野球では1950年くらいまで投手と打者を掛け持ちする選手は散見された。「分業」「専業化」が進んでいなかったからだ。大谷と比較が可能な選手は、むしろNPBに結構いるのだ。

〇景浦将(1936年-1939年)
「初代ミスター・タイガース」景浦將は松山商時代に甲子園で活躍、立教大を経て大阪タイガースに入団、投手と野手を掛け持ちして大活躍した。

1937年春
・投手 22試11勝5敗106.1回52三振39四球 率0.93
・打者 55試190打55安2本47点7盗 率.289

1937年秋
・投手 8試4勝1敗31.1回17三振9四球 率1.41
・打者 38試120打40安3本31点5盗 率.333

 この時期は春秋2シーズン制、景浦は1936年秋シーズンに防御率1位のタイトルを取り、1937年春シーズンは打点王、秋シーズンは首位打者、1938年春にも打点王と打者と投手でタイトルを獲得している。景浦は登板しないときは、外野や三塁手で出場していた。

【次ページ】 打撃の神様・川上、Mr.タイガース藤村の成績

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