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韓国エース「日本は100年経っても韓国に勝てない」から30年…日本は“永遠のライバル”とどう戦ってきたか?
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byJIJI PRESS
posted2021/03/25 11:01
0-1で負けた1991年7月の日韓サッカー定期戦。試合後、ラモス瑠偉は「10年経っても勝てないよ」と首を傾げた
「韓国相手になると、自分たちのサッカーができない。パルチザンのほうが強かったのに、なぜそうなるの? 選手は甘い、韓国を怖がってる。こんなんじゃ、10年経っても勝てないよ」
韓国のエースは、もっと辛辣だった。86年と90年のW杯に出場したチェ・スンホは、「日本は100年経っても韓国に勝てない」と言い放った。朝鮮語を話す通訳を介して、直接聞いたので間違いない。韓国サッカー界を代表するストライカーは、確かに「100年」と言ったのだった。
Jリーグが開幕 “オフトジャパン”が完璧勝利
ところが、ラモスの嘆きもチェ・スンホの予言も、現実とはならないのである。中国と北朝鮮も交えた翌92年8月のダイナスティカップで、日本は韓国と2試合連続で引き分けた。決勝は2対2のままPK戦へもつれ、日本が勝利している。史上初の外国人監督として4月に着任したハンス・オフトのもとで、成長の歩幅を一気に広げていた。
オフトが就任する以前の日本サッカーは、「フィジカルに強い韓国に勝つためには、自分たちもフィジカルを鍛えなければいけない」という考えに囚われていた。しかし、80年代から日本サッカーに触れてきたこのオランダ人指揮官は、サッカーの原理原則を徹底しながら日本人の技術力を生かしていく。自分たちの強みを生かすことで、オフトは韓国に対抗できるチームを作り上げていった。
93年にはJリーグが開幕する。ジーコやラモン・ディアス、ピエール・リトバルスキーらと対峙する日本人DFは、彼らとのマッチアップを通して個人戦術を高めていった。GKシジマールやCBペレイラらと対峙する日本人アタッカーも、レベルの高い攻防を繰り広げていく。日本代表でキャプテンを務めていた柱谷哲二は、「Jリーグになって質の高い外国人選手が増えたことで、守備の選手も攻撃の選手もすごく鍛えられた」と話したものである。
93年10月のアメリカW杯アジア最終予選での韓国撃破は、必然と言っていいものだった。オフトのゲームプランと選手起用が的中した一戦でもあるが、メンタル的に委縮しなくなったことも勝因にあげられる。韓国と同じピッチに立つとナイーブになってしまう日本人選手の姿は、過去のものとなったのだった。
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昭和から平成へ時代が移り変わると、韓国戦の対戦成績は劇的に改善されていった。ほぼ互角と言っていいだろう。