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韓国エース「日本は100年経っても韓国に勝てない」から30年…日本は“永遠のライバル”とどう戦ってきたか?
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byJIJI PRESS
posted2021/03/25 11:01
0-1で負けた1991年7月の日韓サッカー定期戦。試合後、ラモス瑠偉は「10年経っても勝てないよ」と首を傾げた
90年代後半から印象深い試合を選べば、97年11月のフランスW杯アジア最終予選のアウェイゲームになる。韓国がすでにW杯出場を決めていたとはいえ、2対0の快勝は心地よい興奮を呼んだ。
2000年代になると、ベストメンバーでの対戦が実現しにくくなった。国際Aマッチデイの多くがW杯予選に充てられるようになったためで、韓国との対戦は国内組メインの東アジア地域の大会となっていく。互いにベストメンバーではないだけに、勝敗に対する評価は微妙になる。負けても監督の責任を問いにくい試合が増えた。
そうしたなかで、監督の進退が問われる敗戦があった。10年5月のテストマッチである。パク・チソンを擁する韓国に、0対2で完敗したのだった。南アフリカW杯の壮行試合が不甲斐ない結果に終わったことで、試合後の埼玉スタジアムにはブーイングが響いた。
韓国には2月の東アジア選手権でも敗れていた。岡田監督は試合後の会見で、「責任問題だと言われると思う」と自ら発言したのだった。平成の日韓戦における屈辱的敗戦である。
1974年以来「3点以上の大差」で勝利!
翌11年8月のテストマッチは、両チームともに海外組を含むメンバー編成で臨んだ。1月のアジアカップ準決勝の再戦となったゲームは、ホームの日本が3対0で快勝した。ドルトムントで2シーズン目を過ごす香川真司が2ゴール、CSKAモスクワ所属の本田圭佑が1ゴールを決めたのだ。
韓国に3点差以上をつけて勝利するのは、1974年9月の日韓定期戦までさかのぼる。3点以上を取ったのもその試合以来だ。また、98年3月を最後に遠ざかっていたホームでの白星でもある。内容的にもスキのない、ファンタスティックな夜だった。