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韓国エース「日本は100年経っても韓国に勝てない」から30年…日本は“永遠のライバル”とどう戦ってきたか?
posted2021/03/25 11:01
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
JIJI PRESS
昭和の時代からのサッカーファンにとって、日韓戦は苦い記憶を呼び覚ますものに違いない。勝った試合より負けた試合が圧倒的に多く、日本サッカー夜明け前の伝説的な韓国戦──1985年10月のメキシコW杯アジア最終予選も、2連敗に終わっているのだ。
「プロとアマチュアの差を感じた」
国立競技場での第1戦で直接FKを突き刺した木村和司は、のちに「プロとアマチュアの差を感じた」と振り返っている。当時の日本は実業団チーム主体のリーグ戦を土台としていたが、韓国は83年にプロチーム参加の「スーパーリーグ」を立ち上げていた。
「ホームの第1戦は立ち上がりから日本が攻めたけど、自分たちが引いてワシらを引きずり出す、というのが韓国の狙いだったんだろうな。アウェイで相手に攻めさせるのはまさしくプロらしくて、ワシらが戦っていた日本リーグはアマチュアで、ホームとアウェイの差はなかったからね。韓国の2点目なんて、きれいなカウンターだったし」
ホームで1対2と競り負け、アウェイゲームも0対1で落とした試合後、木村はプロ化の必要性を痛感する。日本サッカーの未来について、キャプテンの加藤久と語り合った。
「日本も早くプロリーグを作らないと、絶対に韓国には勝てない。韓国に勝てないということはW杯に出られないと、ふたりで話したんだよ」
0-1で敗れてラモス瑠偉は「韓国を怖がってる」
その後も韓国に3連敗を喫し、91年7月の日韓定期戦を迎える。日本は直前のキリンカップで、ガリー・リネカー率いるトッテナムに4対0で快勝するなど、同大会初優勝を飾っていた。イビチャ・オシムが監督を務めるパルチザン・ベオグラードとの連戦も、悪くない内容で終えていた。
ところが、韓国には0対1で敗れてしまうのである。フル出場したラモス瑠偉は、試合後に首を傾げた。