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バルサ会長選、現地在住なので投票してきました… クライフイズムの改革者ラポルタは“再び”再建できるのか
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byTaku Kudo
posted2021/03/12 11:03
3月7日に開催されたバルサの会長選。ラポルタ新会長もカンプノウ周辺を歩いていた
ロナウジーニョ、メッシとグアルディオラ時代
「人生最高の数年間をクラブに捧げるつもりだ」
そんな言葉と共にクラブ史上4番目に若い会長が誕生したこの時、国内メディアは同じく40歳でスペイン政府首相となったフェリペ・ゴンサレスの再来と騒ぎ、あるアメリカ人記者は「彼はバルサのケネディーとして誕生した」と表現した。
それから任期満了となる2010年夏までの間に、ラポルタは終わりなき内紛といくつものスキャンダルにまみれながら、クラブ史に残る2つの黄金期を築きあげた。
1つは05-06シーズンのドブレッテで頂点を迎えたロナウジーニョとライカールトの時代。もう1つは08-09シーズンのトリプレッテに始まったメッシとグアルディオラの時代である。
暴力集団との関係も断ち切った
自身や家族が脅迫に晒されることも顧みず、クラブと暴力集団の関係を断ち切った「ボイショス・ノイス」の追放も、彼が残した大きな功績の1つだ。
その傍ら、次第に独裁色を強めていったラポルタの周囲には、いくつもの不正疑惑が浮上した。結果として発足時のメンバーの大半は執行部を離れ、一部ソシオが起こした不信任投票では辞任を求める声が60%に上った。
栄光と疑惑に満ちたバルサでの7年間を終えると、ラポルタはかねてからの夢だった政界に進出する。数年に渡ってカタルーニャ州議会議員とバルセロナ市会議員を歴任したが、政治家としては大成しなかった。
2015年夏には再びバルサの会長選に立候補したが、前シーズンの3冠獲得を味方につけたバルトメウに完敗。この時点でラポルタの時代はもう過ぎ去ったものと思われたが、本人はしたたかにチャンスを窺っていた。
そして昨年12月、ラポルタはサンティアゴ・ベルナベウ近くのビルに「再び君たちに会いたい」とメッセージを添えた巨大広告を打つという、センセーショナルな形で選挙活動をスタートした。