プロ野球PRESSBACK NUMBER
「見せましょう、野球の底力を」が重圧だった… 楽天・嶋基宏が苦悩から解き放たれた瞬間とは【3.11】
posted2021/03/11 11:03
text by
間淳Jun Aida
photograph by
JIJI PRESS
2011年3月11日、午後2時46分。楽天は本拠地のある仙台市から直線距離で660キロほど離れた明石市で、ロッテとのオープン戦を行っていた。試合は7回表が終わったところ。球場はわずかに揺れただけだった。
アナウンスでは、東北で大きな揺れがあったと伝えられた。選手はベンチ裏で携帯電話を握り、家族の安否を確認した。球場に異変がなかったことから、試合は再開。しかし、米田純・球団代表らチームスタッフが情報収集をしていると、東北では、これまでにない大きな被害が出ていることがわかった。
地震発生から30分後、両チームと審判団が協議した結果、8回表で試合は打ち切られた。
家族が暮らす東北では一体何が起きているのか。事態を呑み込めない選手たちは、携帯電話で話をしながら、足早に球場を後にした。選手会長の嶋基宏は「妻とは連絡がつき大丈夫と話していましたが、心配です」とうつむきながらバスに乗り込んだ。嶋の苦悩は、この時から始まった。
26歳の選手会長・嶋は眠れぬ日が続いた
選手宿舎に戻ってテレビをつけると、津波の映像が繰り返し流されていた。何度見ても、現実とは受け入れられない。
「今すぐに仙台に、東北に戻りたい」
嶋も他の選手も思いは同じだった。ただ、球団や首脳陣に強く要望しても、願いはかなわなかった。ライフラインが断たれ、交通が麻痺した被災地に、チームで移動するのは現実的に不可能だったからだ。
支援活動をしたいのに地元へ帰れないジレンマ。このシーズンから球団史上最年少の26歳で選手会長に就いた嶋は、眠れない日が続いた。
「自分たちに何ができるのか」
自問自答し、先輩の平石洋介や主将の鉄平との話し合いは深夜に及ぶこともあった。チームを少人数のグループに分けて、日時や場所を分散すれば、被災地に行くことができるのではないか。球団にかけ合ったが、答えは変わらなかった。楽天の行動は他の11球団にも影響するため、被災地支援を優先させることは許されなかった。