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「見せましょう、野球の底力を」が重圧だった… 楽天・嶋基宏が苦悩から解き放たれた瞬間とは【3.11】
text by
間淳Jun Aida
photograph byJIJI PRESS
posted2021/03/11 11:03
「見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を」。嶋基宏を一躍有名にした言葉だったが、プロ野球選手として苦悩した期間もあったという
怒りの矛先は首脳陣とフロントに向くこともあった
「野球をやっているときなのか」
「なぜ地元に帰ることができないのか」
「がれきの1つも片付けることもできないのか」
怒りの矛先は、首脳陣やフロントに向くこともあった。試合で大敗しても感情を抑えて冷静に取材に応じる嶋も、やり場のない悔しさやもどかしさを胸にとどめておくことができなかった。
野球をすることに疑問を感じながらも、プロとしてシーズンへの準備は進めなければならなかった。震災から8日後、楽天の選手たちは中日とのオープン戦前に、ナゴヤドームの入口で募金箱を手に支援を呼び掛けた。
200メートル近い列ができ、20分間で集まった金額は125万7628円。嶋は「涙が出そう。東北の皆さんの力になりたいという気持ちが伝わってきた」と感謝した。
「できることをするしかない」
地元に帰れない選手たちは、遠征先で義援金を募った。支援の輪はプロ野球界やファンに広がり、楽天以外の試合でも募金活動が行われた。
連日夜中まで考え抜いた、あのスピーチ
激励の言葉や手紙が、苦労やプレッシャーに押しつぶされそうになった嶋を支えていた。そして、4月2日に札幌ドームで開催された日本ハムとのチャリティーマッチ。嶋は連日夜中まで考え抜いたスピーチで、ファンへの感謝、自らの決意を伝えた。
「見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を」
嶋が紡いだ言葉は、野球ファンだけでなく、全国民の心を動かした。だが、このスピーチが嶋を苦しめた。楽天に集まる期待や注目。それに応えたい気持ちは、かつて感じたことのない重圧となっていた。
シーズン開幕が5日後に迫った4月7日、楽天の選手たちは震災後初めて宮城県に入った。あの日から27日が経過していた。仙台空港は津波で浸水したため、山形空港からチームバスで仙台に向かった。車中、会話はない。目を覆いたくなるような光景を選手たちはじっと見つめていた。
翌日、選手は4つの班に分かれて避難所などを訪問した。嶋は田中将大らと東松島市の大曲小学校に向かった。移動中、目にするのは変わり果てた街。家や建物には津波が押し寄せた跡がくっきりと刻まれ、田んぼには船や車が横転していた。泥だらけの道路は、がれきで埋まっていた。