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史上初の2年連続得点王 前田遼一39歳が語る“引退決断”と“ストライカー人生”「ジュビロにいたからこそ、FWになれた」 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byHideki Sugiyama

posted2021/03/06 06:00

史上初の2年連続得点王 前田遼一39歳が語る“引退決断”と“ストライカー人生”「ジュビロにいたからこそ、FWになれた」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

今年1月14日に現役引退を発表した前田遼一さん

――やはり試合で仕事をしてこそのプロアスリートということですね。

「試合で活躍するという作業ができなくなっていたと思います。そんな自分に対して悔しかった。練習を重ねて、試合でいいプレーをして、活躍できれば、また練習も楽しくなるし、キツイことでも頑張れるし、全然苦にならない。でも、岐阜へ行ってからはそんな風に思える時間が本当に短くて、期待や求められているものにも応えられなかった。そこで、また1年頑張れるか? と思ったら、やろうというふうには考えられなかったんです」

――プレーヤーとしてのモチベ―ションや納得感などは、人それぞれだと思いますが、前田さんは自己満足では許せなかったんですね。

「そうですね。じゃないとプロとしての評価は得られないから。サッカーは楽しいけれど、結局は生活していかなくちゃいけない。それがプロであり、仕事に対してあるべき姿勢だと思うんです」

「これじゃあ、ダメでしょうって思っちゃったんですよね」

――岐阜では得点もごくわずかしかあげられていませんでした。ご自身で理由をどんなふうに考えますか?

「自分の仕事は何? と考えたとき、FWだったら『点を取る』というシンプルな目標に向けて、自分のできることを逆算しながらプレーしてきました。でも、岐阜での去年と一昨年は、チームのために、これもあれもやらなくちゃいけないみたいな感覚になってしまっていたところがあったかなと」

――自身に対する焦燥感と成績が芳しくないチームに何かをという気持ちもあったのかもしれません。

「でも、実際体力は落ちてきているじゃないですか? だから昔のようにはできない部分もある。本当なら、そういうことも考慮したうえで、今の僕に何ができるかをしっかり考えて、整理してプレーすべきだった。でも、当時はただただ必死で、クビにはなりたくないし、試合には1試合でも多く出たかったし……。今もその理由はうまく説明できないけれど、結局結果は残せなかった。これじゃあ、ダメでしょうって思っちゃったんですよね」

――まさに引退を考えている時期(2020年12月)、同じ歳の松井大輔選手はベトナムへ移籍し、佐藤寿人さんが現役を引退しました。

「カンボジアのチームからもオファーはいただいていて、大輔の移籍でまさに『面白そう』って気持ちが動いたこともありました。でもその後に話が進展しなかったんですよね(笑)。ハネ(羽田憲司。現セレッソ大阪コーチ)の『やれるところまでとことんやり切れ』っていう言葉もかなり響きました。実際僕も(試合に出られないで移籍や引退を考える)若い選手に相談されるといつもそう言っていましたから。だからこそ、とことん考えて、最後は自分で引退を決めました」

18歳で黄金期の「ジュビロ磐田」へ

――前田さんと言えば、ジュビロ磐田時代を想像する人も多いと思います。前田さんが高卒で加入した当時は黄金時代と呼ばれ、メンバーは中山ゴン、高原直泰、藤田俊哉、名波浩をはじめ、日本代表クラスの選手ばかりでした。

【次ページ】 「膝を怪我したのも、罰だったのかなって」

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