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史上初の2年連続得点王 前田遼一39歳が語る“引退決断”と“ストライカー人生”「ジュビロにいたからこそ、FWになれた」 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byHideki Sugiyama

posted2021/03/06 06:00

史上初の2年連続得点王 前田遼一39歳が語る“引退決断”と“ストライカー人生”「ジュビロにいたからこそ、FWになれた」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

今年1月14日に現役引退を発表した前田遼一さん

「そうですね。すごいチームに入りましたね(笑)。でも『ここなら絶対うまくなれる』と信じていたし、『ここでサッカーをしていれば、先輩みたいになれる』と思っていた。みんなの練習での熱量は非常に高くて、厳しさもあるけれど、本当に楽しそうにプレーしていた。だから、僕も楽しかったし、つらいとか大変だと思ったこともありません。

 僕もその中で、毎日一生懸命に練習していたけれど、それだけじゃダメだったんですよね。もっと貪欲さが必要だったんじゃないのか、もっといろんなことを感じ取るべきだったんじゃないかと、あとから思うようになりました」

「膝を怪我したのも、罰だったのかなって」

――ただ、前田さんもプロ2年目の20歳でフィリップ・トルシエ率いるA代表の候補合宿に初選出(2001年10月)されます。候補に入ったときのことは覚えていますか?

「前の年も2点取っていただけで全然試合に出てなかったのに『なんで俺なの?』という疑問しかなかったです(笑)。それでも、合宿へ行けばジュビロの選手ばかりで、居心地もよくて、危機感を抱くとかそういうこともなかった。本当ならそこで、何か感じ取っていくべきだったのかもしれないのに。

 もちろん、ジュビロへ戻ればいつも通りスタメンにはなれない。当たり前のことなんですけど、当時は『何で出れないんだよ』と、練習で不貞腐れるようなこともありました。今振り返ると、膝を怪我したのもこの時に抱いた感情の罰なのかなって思うんですよね(笑)」

――2002年6月のヤマザキナビスコカップ仙台戦での負傷(右膝外側半月板縦断裂)のことですね。

「怪我から復帰しても身体が思うように動かなくて、ドリブルでさえイメージ通りにできなくなってしまって。その時に初めて『あ、本当にクビになる』と強い危機感が生まれました。もう、どこのポジションだろうが試合に出たいと思うようになって、起用されたのがFWだったんです」

「ジュビロにいたからこそFWとしてプレーできた」

――そこからジュビロ、日本代表のストライカーとして成長していくわけですが、もともとMFよりも適性があったと思いますか?

「うーん。僕は、パスサッカーを軸に置き、選手が流動的に動く当時のジュビロにいたからこそFWとしてプレーできた選手なんだろうなと思っています。足も遅かったし、FWとして生かせる身体的能力も何一つ持ってなかったから。

 実際、アテネ五輪代表(アジア地区最終予選)のFWで起用されて、いきなりDFラインからロングボールが飛んできたときも『え?』ってびっくりしちゃって何もできませんでした。パス回しもなく、そんな適当なパスが前線に入ることは、ジュビロではなかったので。どちらのサッカーが良い悪いじゃなくて、単純にこんなにもジュビロとはプレースタイルが違うんだという衝撃でもありました」

【次ページ】 「やっとレギュラーになれた」と思った瞬間

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