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「あの宇和島東の鈴木って、誰?」大学恩師が語るマラソン鈴木健吾25歳、“無名”の高校時代から“日本新”までの10年間
posted2021/03/01 17:03
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
JIJI PRESS
神奈川大の大後栄治監督のリクルーティング・レーダーに、
「鈴木健吾」
という選手の名前が引っかかったのは、彼が高校1年生の時だった。
「小刻みなリズムで、走りがとてもいい選手が、愛媛の宇和島東高校にいると情報が上がってきました。ひと目見て、天性のリズムを持っていると直感しましたね」
まだ全国的には無名の選手だったが、大後監督は鈴木が高校2年のうちに積極的な勧誘をした。それだけ才能に惚れ込んでいたのだ。
「現在の厚底シューズの時代とは比較になりませんが、健吾が高校生だった2010年代前半は、2年生の時に5000mで14分45秒を出していれば、神奈川大としては奨学金給付対象として考慮します。他の大学の監督さんが気づかないうちにオファーはしました」
鈴木も早くから自分に注目してくれる神奈川大に好意を持ち、高校2年の段階で進学先として神奈川大一本に絞るようになっていた。
「あの宇和島東の鈴木って、どこかに決まってるのかな?」
その数カ月後。
大分県で行われたインターハイで鈴木は5000mで10位に入る(ちなみにこの大会のスターは100m、200mの個人二冠を達成した洛南高校の桐生祥秀)。鈴木は、上位3人を留学生が占める中で、世代ではトップの実力を示したことになる。
すると、スタンドでレースを見ていた関東の大学の監督たちが、色めき立った。大後監督が微笑みながら、当時のことを思い出す。
「あの宇和島東の鈴木って、どこかに決まってるのかな? という声が聞こえてきたんです。健吾が“全国デビュー”したのは、このときが初めてでしたから、どこの大学のレーダーにも引っかかっていなかった。ウチとしてはひっくり返されちゃたまらないので、『ウチに決まっています!』と宣言しました」
「消化器系にトラブルが起きていました」
鈴木は2014年に神奈川大学に入学するが、正直なところ、2年生まではこれといった成績を残していなかった。箱根駅伝では1年生の時が6区山下りで区間19位、2年では2区を任されたが区間14位に終わっている。私も1年生の時に初めてインタビューをしたが、「はい」、「そうですね」と、言葉少なに答える鈴木の様子が記憶に残っている。
この時期の鈴木はどんな状態だったのか、大後監督が振り返る。