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「あの宇和島東の鈴木って、誰?」大学恩師が語るマラソン鈴木健吾25歳、“無名”の高校時代から“日本新”までの10年間 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byJIJI PRESS

posted2021/03/01 17:03

「あの宇和島東の鈴木って、誰?」大学恩師が語るマラソン鈴木健吾25歳、“無名”の高校時代から“日本新”までの10年間<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2月28日びわ湖毎日マラソン。日本新記録で優勝した鈴木健吾(富士通)

「2年生までは、追い込んだ練習をした後に、消化器系にトラブルが起きていました。おそらく、内臓でダメージを受けた箇所の修復が間に合わなかったんでしょう。そうなると、継続して質の高い練習が積めなかったんです」

 それが3年生になって変化が表れた。疲労が蓄積することがなくなり、練習の質、量が飛躍的に上がっていった。

「20歳を超えて、内臓が収まるところに収まった感じでしょうか。いくらでも練習が出来るので、やめさせるのが大変でした。量が出来てくれば、次に追求するのは走りの“効率性”です」

2区区間賞、充実の大学3年

 大後監督には10数年来話を聞いているが、走りの効率、経済性が大きなテーマになっている。

「私が取り組んできたのは、上半身の使い方です。肩甲骨をしっかり動かして、上半身の力を骨盤に伝えます。そうすると、脚を使わずに、終盤に残せるんですよ。ただし、その効果は5%とか、10%に過ぎません。それでも、その小さな差がマラソンでは大きくなります」

 チューブを使った自重負荷のトレーニングなどに取り組んだ結果、大学3年は鈴木にとって充実の年となり、5000mでは13分57秒88、10000mでは28分30秒16の自己ベストをそれぞれマーク。

 そして箱根駅伝では花の2区で好走、居並ぶ強敵を前に区間賞を獲得する。そして3月の日本学生ハーフマラソンでは1時間1分36秒を出して、後続に40秒ほどの差をつける圧勝。この1年で、一気にエリート選手の仲間入りをしたのである。

大学の“卒論”レースで2時間10分21秒

 ただし、この好結果を受けて、鈴木は張り切り過ぎたと大後監督はいう。

「いい結果が続いて、ちょっと欲張ってしまったんでしょうね。ケガがありました。ユニバーシアードのハーフマラソンの代表にも選ばれましたが、このときは銅メダル。調子を崩したこともあって、初秋の時期にはウォーキングからやり直したほどです」

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