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新しい地図・草なぎ剛×パラテコンドー 太田渉子が目指す渾身の回し蹴り【パラスキー銀メダリストの転身】
posted2021/02/22 11:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Takuya Sugiyama
草なぎ剛(以下、草なぎ) 実は昔、バラエティ番組でテコンドーを体験したことがあるんですよ。韓国にもよく行っていたので、懐かしいです。
太田渉子(以下、太田) なるほど! だから撮影のとき、足がすごく綺麗に上がっていたんですね。
草なぎ いえいえ、お恥ずかしい。太田選手はスキーで冬季のパラリンピックに3度出場されて、メダルも獲得していますよね。なぜテコンドーというまったく違う競技に転向したのか、すごく不思議です。
太田 そうですよね(笑)。2014年にソチパラリンピックを終えてスキーをやめたときは「これ以上選手としてできることはない」という気持ちで、ある意味でやりきっていたので、まさか今また“選手”になっているとは私も思わなかったです。
草なぎ それまでスキーはどれぐらい続けていたんですか。
太田 小学校で始めてからずっとですね。地元の山形でスポーツ少年団に入っていたのですが、中学1年の夏にパラリンピックの指導者にスカウトされたのがきっかけで競技にのめり込みました。
16歳で銅、バンクーバーでは銀
草なぎ スカウトは急に?
太田 はい、日焼けしたおじさんが突然地元のスキー大会に来て、「一緒にパラリンピックで金メダルを獲ろう」と(笑)。
草なぎ ドラマみたいだ。
太田 最初はパラリンピックがどんな大会なのか知らず、興味もなかったんです。でも、その年の冬に国内のパラ大会の見学に行ってみたらすごくかっこよくて。
草なぎ そしてパラリンピックの常連になっていく。16歳で出場したトリノではバイアスロンで銅メダル。バンクーバーではクロスカントリーで銀メダルに輝き、ソチでは日本選手団の旗手も務められました。スキーの世界で印象に残った選手はいますか。
太田 カナダのブライアン・マッキーバー選手には憧れていました。視覚障害の選手なのですが、ガイド役のお兄さんと動きがシンクロしている姿がかっこよくて。合宿で一緒になったときもとても気さくで、私のフォームや滑り方についてアドバイスをくれたのを覚えています。
草なぎ 視覚障害なのに、フォームを! でもやっぱり、そこからなぜテコンドーなのか気になりますねぇ(笑)。