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【箱根駅伝】駒大“大逆転”のウラ側…コーチの証言「大八木のゲキは選手への『愛』なんです」
posted2021/01/15 17:02
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
JMPA
箱根駅伝を終えて、秋から取材に使ってきた数冊のノートを整理する。監督、選手たちの声が膨大な文字となって記されている。
ずっと読んでいると、駒澤大学の藤田敦史コーチを取材した際のメモが目に入ってきた。Number 1017号「箱根駅伝 ベストチームを探せ!」で、「大八木弘明、進化する愛の名将」を書く際に使ったノートである。
藤田コーチは1995年に駒大に入学し、そのシーズンの最中にOBの大八木氏がコーチとして母校に戻ってきた。
福島県出身のふたりにとってこれは運命的な出会いで、学生時代には箱根駅伝出場4回、4年生で走った4区では当時の区間新記録を樹立した。そして卒業間際に走ったびわ湖毎日マラソンでは2時間10分07秒のタイムで2位に入り、世界陸上セビリア大会の代表となって6位に入賞した。当時から寮母の役割を担っていた大八木監督の夫人、京子さんはこう振り返る。
「主人は藤田君を自宅の方に呼んで、マッサージをしていたこともありました」
シード落ちも……「青学時代」の苦難
駒大から富士通に進んで2013年に現役を退き、2015年からは駒大のコーチに就任した。母校、そして大八木監督に恩返しする番が来たのである。
藤田コーチが就任する前に行われた2015年の箱根駅伝では、駒大が4区まで先頭に立ちながら、5区で青山学院大の神野大地が「新・山の神」と呼ばれる走りを見せて逆転、駒大は総合2位に終わった。
ちょうど「青学時代」の到来期にコーチに就任したわけだが、これ以降、駒大は苦難の時期を迎える。
2016年、3位。
2017年、9位。
2018年、12位。
2019年、4位。
2020年、8位。
特に2018年のシード落ちは、精神的にもこたえたという。
「大八木は落ち込んでいましたけど……」
藤田コーチは当事者として責任を感じながら、還暦を迎える恩師が悩む姿を傍らで観ていた。