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張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2021/01/17 06:00
1966年東映のブラジル遠征時のパンフレットより。若き日の張本勲らが名を連ねている
日本のメディアは同行しなかったが、1966年11月のサンパウロの邦字紙「パウリスタ新聞」には東映の全試合のデータが残されていた。それを集計すると、張本の成績は以下の通り。
37打数21安打、打率.568、打点22、本塁打7本
メジャー相手に打ちまくったのは自信になったはず
驚異的な数字で、錚々たるメジャーリーガーを押しのけて堂々の三冠王。本人の言葉には、何の誇張もなかった。また、四球が13もあった。6日のアメリカ戦で“完全試合男”ラーセンから敬遠されたように、メジャーの投手もしばしば張本との勝負を避けたほどだ。
張本は「私はこのブラジル遠征で技術的なことは何もつかんでいない」と語っている。しかし、メジャーの投手たちを相手に打って打って打ちまくったことは大きな自信となったのではないか。またブラジルの日本人移民の苦労を肌で知ったことで、「意識が大きく変わり、打者として、人間として、私を一回りも二回りも大きく成長させてくれた」のである。
ブラジルは、当時も今もフットボール王国だ。しかし、この国際トーナメントが成功したのは――そこに野球を愛する日本人と日系人がいたからではないか。
また、昨年の日本シリーズ第4戦で日本シリーズ最速記録を破る164km/hの剛速球を投げた巨人のチアゴ・ビエイラ投手はサンパウロ郊外の出身だ。
一体、ブラジルでいつ誰が野球の種を撒き、いかにして育んだのか――。
(第2回「100年以上続く日本人移民との縁…なぜフットボール王国ブラジルがメジャー&プロ野球選手を輩出できるのか」に続く。関連記事からもご覧になれます)
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