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張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2021/01/17 06:00
1966年東映のブラジル遠征時のパンフレットより。若き日の張本勲らが名を連ねている
「張本だけ、打球音が違った。バットを強振するとゴーンという音がして、ライト場外へ飛んでいく。これがプロかと驚いた」
初戦はエース尾崎を立てた東映だったが
11月5日、サンパウロのボン・レチーロ市営球場で大会が開幕した。スタンドはほぼ満員の1万人の観衆で埋まり、そのほとんどが日本人、日系人だった。
開幕戦はパナマ対アメリカで、アメリカが3本のホームランで4-0と快勝した。第2試合では東映がアメリカと対戦。東映はエース尾崎が先発したが、点の取り合いとなり、6回までアメリカが4-3とリード。しかし7回裏、東映が追いつく。
同点のまま延長戦に入ったが10回表、アメリカはジャック・ハイアット(SFジャイアンツ)がリリーフの森安からレフト場外へホームランを叩き込み、東映の反撃を抑えて勝った。
大リーガーが張本を敬遠した!
翌6日、やはりサンパウロで2試合が行なわれた。第1試合で東映はパナマと対戦したが、42歳の技巧派投手の前にわずか2安打。内野手のエラーなどで失点し、0-5と完敗した。
第2試合のアメリカ対東映戦は、パット・ギリック(28、ボルチモア・オリオールズ)と嵯峨健四郎の投げ合いとなった。
2回裏、張本のタイムリーで先制したが、7回表にエラーで追いつかれる。8回裏に東映はリリーフのラーセンから先頭の白が安打で出塁したが、後続が倒れて二死一塁。ここで張本が登場すると、驚いたことにラーセンは張本を敬遠。次の大杉が三振に倒れた。
そして9回表、尾崎がホームランを打たれ、その裏の東映の攻撃も実らず1-2で敗れた。東映はあえなく3連敗。勝利を期待していたスタンドの日本人、日系人からブーイングを浴びた。
「東映の選手たちは、長旅の疲れと時差ボケに加え、連日の日系団体による歓迎会で疲れていたようだ。でも、張本だけは別格だった」(佐藤)
大会3日目は、サンパウロから600km近く離れたサンパウロ州奥地ジャーレスで行なわれた。ここにも日系人社会があったからだ。
なお当時のブラジルでは飛行機移動はまだ一般的ではなく、バスで10時間以上かかった。