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巨人ビエイラ、漫画みたいなブラジル時代秘話 “貧困”も片道6時間かけて練習参加、5カ月で球速17kmアップ
posted2021/01/17 06:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Nanae Suzuki
2020年11月25日、日本シリーズ第4戦の6回裏に登板した身長193cm、体重113kgの巨漢右腕は、栗原陵矢(試合後、シリーズMVPに選ばれた)に5球すべて直球勝負を挑み、159kmで空振りの三振を奪った。
続くデスパイネには3-1とカウントを悪くしたが、直球を続け、最後は158kmで詰まらせてサードゴロ。さらに、牧原大成を直球で追い込むと、3球目は内角高めに浮いたが164km。日本シリーズにおける最速記録で、敵地のスタンドをどよめかせた。
そして、変化球をファウルされた後、再び164kmの剛速球で空振りの三振に斬って取った。さらに、7回も2死まで投げた。
第1戦でも1イニングを抑えており、このシリーズで計2回3分の2投げて被安打1、1死球の無失点で、奪三振は3。4試合で26失点と崩壊した巨人投手陣の中で、ソフトバンク打線に通用した数少ない投手の1人だった。
宮本コーチも称えるほどの練習熱心さ
シーズン終了後、巨人の宮本和知投手チーフコーチは「若手にとって、お手本となる投手はビエイラ。本当に練習熱心だし、練習姿勢は学ぶべきものがある」と褒めたという。
外国人選手が日本の指導者からこのような賛辞を受けるのは、かなり珍しいのではないか。
チアゴ・ビエイラは、野球が盛んなキューバやドミニカの出身ではない。生まれも育ちもブラジル。世界に冠たるフットボール王国で、バレーボールやビーチバレーでも国際大会で金メダルを量産するが、野球に関してはほとんど語られることのない国だ。
一体、彼はどのような境遇で育ち、どのようにして野球を始めたのか――ブラジル野球が日本人、日系人と縁が深いのは第2回で説明した通りだが、彼も日本人や日系人から指導を受けたのだろうか。
両親が離婚、決して裕福ではなかった
ビエイラは、1993年1月7日、サンパウロの北西にある小都市タトゥイで生まれた。2人兄弟の弟で、幼いときに両親が離婚。母親は女手ひとつで2人の息子を育てたが、決して裕福な家庭ではなかった。
地元の日本文化協会が野球の少年チームを運営しており、8歳のとき、ビエイラは日系人の友人に「一緒にやろう」と誘われた。しかし、ブラジルでは国産の野球用具がなく、輸入品は高価だ。ビエイラの母親が費用を捻出するのは難しかった。