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張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2021/01/17 06:00
1966年東映のブラジル遠征時のパンフレットより。若き日の張本勲らが名を連ねている
東映は監督が名将・水原茂で、この年の成績は3位。投手では、24勝したエース尾崎行雄(22)、ルーキーながら11勝をあげた森安敏明(19)、ベテラン土橋正幸(31)ら、野手では張本(レフト)の他、毒島章一(30、ライト)、種茂雅之(28、捕手)、白仁天(22、センター)、大杉勝男(21、ファースト)らがいた。
メジャー選抜にはワールドシリーズ完全試合男が
MLB選抜は、投手では1956年のワールドシリーズで現在に至るまで唯一の完全試合を達成したドン・ラーセン(37、ボルチモア・オリオールズ)、クロード・レイモンド(29、アトランタ・ブレーブス)ら、野手では身長200cmの巨漢フランク・ハワード(30、テキサス・レンジャーズ、レフト。1974年に太平洋クラブライオンズ)、生涯2716安打を放つラスティ・スタウブ(20、ヒューストン・アストロズ)ら一流選手揃いだった。
パナマ選抜はメジャーリーガー5人にメキシコやパナマのプロリーグでプレーする選手で構成され、こちらもかなりの強豪だった。
36時間のフライトの末、サンパウロ着
東映の選手たちは、「プロペラ機で36時間もかけて」(張本)11月2日、サンパウロの国際空港へ降り立った。
「せっかくのシーズンオフ、しかもそんな長旅となれば、今の選手であれば辞退する選手が続出するかもしれないが、私は喜んで参加した。当時26歳とまだ若かったこともあるが、海外に行けるという喜びのほうが大きかった。そういう時代だったのだ」
日本からブラジルへは飛行時間が長いうえ、時差が12時間もある。一方、ブラジルとパナマとの時差は2時間で、アメリカとも2~5時間程度。飛行時間もずっと短い。
それまで日本の大学や社会人のチームがブラジルへ遠征して地元のチームと対戦したことはあったが、日本のプロチームがやってきたのは初めてだった。選手たちは、現地の日本人、日系人から大歓迎を受けた。
現ヤクルトアカデミー校長が見た張本
3日と4日、東映はサンパウロ郊外で練習を行なった。これを見学した人がいる。当時、19歳ながら地元の強豪チームのエースで、後にブラジル代表の監督、コーチを務めた佐藤允禧(現ヤクルト野球アカデミー校長)である。