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張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2021/01/17 06:00
1966年東映のブラジル遠征時のパンフレットより。若き日の張本勲らが名を連ねている
「大変だったのは移動だった――道路も決して良くないから、バスに揺られ続けていると試合の疲れもあり、体もクタクタになった」(張本)
アメリカとパナマの選手は町一番のホテルに入ったが、東映の選手たちは地元の日本人、日系人の家に招かれ、数人ずつに分かれて宿泊。精一杯の日本食を振る舞われた。
「すべてが質素だった。必要最低限の暮らし~ここでどれほど働き、どれほど苦労しながら毎日を生き抜いているのか。~おじいさん、おばあさんたちのシワが刻まれた顔を見ていると、そこに苦労の跡が見てとれて、よくぞここまで……と私は涙をこらえるのに必死だった。
彼らに比べれば私は何と恵まれていることか~数字やバッティングなど些細なことに、あれこれと思いをめぐらせている自分がとてもちっぽけな存在に思えた」(張本)
メジャー相手に3本塁打8打点の大爆発
9日、東映はジャーレスでの試合でパナマを14-6と下し、初勝利をあげた。そして12日、別の町でアメリカと対戦。初回に張本の2ランで先制すると、森安が強打のアメリカ打線を4安打完封。4-0と快勝した。
翌日も張本、大杉のホームランなどでパナマを5-3と下すと、アメリカにも8-2と大勝。4連勝を飾った。それからまた別の町へ移動し、17日のパナマ戦は3-6の敗戦を喫した。
その後、300km近い道のりを6時間以上かけてパラナ州マリンガへ移動。19日、アメリカと対戦すると、張本が3ホーマー8打点と爆発し、28-7と大勝した。そして大会最終日の20日、アメリカに6-7と惜敗したが、パナマ戦は9回裏、大杉のサヨナラヒットで打撃戦を制し、有終の美を飾った。
通算成績は東映とアメリカが6勝5敗で並び、パナマが4勝6敗だった。
張本は「この遠征で私はよく打った。打ちまくったと言っていい」と豪語している。
「数字や優勝のことをまったく気にせずに野球をやることが、これほど楽なことだとは思ってもいなかった。私はのびのびと打席に入り、楽しみながら試合に出ることができた」