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100年以上続く日本人との縁… なぜフットボール王国ブラジルが大リーガー&NPB選手を輩出できるのか
posted2021/01/17 06:01
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Naoya Sanuki
ブラジルに野球が伝わったのは、19世紀後半。1897年、リオでアメリカ企業の社員たちが最初の試合を行なった記録がある。フットボールがブラジルに伝わったのも19世紀後半で、1902年にサンパウロでアマチュアリーグが創設されているから、ほぼ同時期だ。
しかしフットボールがボール1つあれば裸足でも楽しめ、大衆に爆発的に普及したのに対して、野球はグローブやバット、ボールなどが必要だ。国産の用具が存在せず輸入品は高価とあって、愛好するのは富裕層に限られていた。
日本人移住者の中に野球用具を携えた人が
1908年、日本人のブラジル移住が始まると状況が少し変わった。当時、野球はすでに日本で人気があり、移住者の中に野球用具を携えてきた者がいたのだ。
最初の数年間、移住者は過酷な労働に明け暮れて娯楽どころではなかった。しかしブラジルでの生活に慣れると、余暇に柔道、相撲、陸上などのスポーツを楽しむ者が出てきた。
そして1920年、サンパウロ在住の日本人が野球チーム「ミカド」を設立した。州内の日本人植民地、さらには近隣の州でもチームが設立され、対抗戦を行なうようになった。
1936年に全国大会が始まると、日本人や日系人が経営する会社の中には日本から野球経験者を移住させて雇用し、チーム強化に励むケースが出てきた。日本の社会人野球に似た形態である。
各地の日本人会も、会員の子弟に日本的な教育や躾を施す意味合いもあって、子供から大人まで年齢別の野球チームを組織、運営した。日系人の子供たちに誘われてチームに加わる非日系ブラジル人も出てきた。
当時の監督やコーチの多くは日本人で、主に日本語で指導し、練習方法も野球用語もすべて日本式だった。練習や試合の合間に供される食事も日本食である。野球をする非日系の子供たちは、自然に日本文化に適応していった。
しかし、ここで疑問が湧く。