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選手権で早期敗退も「高校サッカー史上最強校」 名波浩、山田隆裕、大岩剛がいた“30年前の清商伝説”とは
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2021/01/09 17:03
高校サッカーには数々の伝説のチームがある。全国制覇した名波(前列右端)らが所属した清水商もその1つだった(写真は1989年)
JSLクラブとの練習試合で勝利することもあった
Jリーグ開幕を2年後に控えたタイミングだけに、1991年1月の選手権にはのちのJリーガーが数多く出場している。ただ、これだけのタレントを揃えたチームは他に見当たらない。清商の強さは飛び抜けていた。
山田や名波らが最上級生となった1990年度は東海総体、インターハイと呼ばれる全国総体、第1回全日本ユース選手権を制していた。公式戦18連勝で選手権を迎えたチームには「史上最強」のフレーズが当たり前のように使われ、JSLのクラブとの練習試合で勝つこともあった。
選手権直前の12月にも日産の胸を借り、相手が控え選手を並べた前半は2-2で折り返す。主力メンバーと対峙した後半は3点を奪われたが、清商は山田と望月重が出場していなかった。他の追随を許さない優勝候補の筆頭として、高校サッカー界のモンスターチームは選手権へ挑んでいくのである。
1月2日の1回戦では、佐賀学園を6-0で退けた。1回戦全20カードの最多得点にして最多得点差の大勝だった。
2年前の決勝で戦った市船相手に死闘のPK戦
翌3日の2回戦は、『市船』こと市立船橋が相手だった。2年前の決勝戦と同じカードである。
チャンスの数では前半から清商が上回った。ところが、先にスコアを動かしたのは清商ではない。後半開始直後の49分、相手のシュートがDFに当たり、ネットを揺さぶられてしまうのだ。
清商の大滝雅良監督は、61分に田光を投入する。12月初旬に右足首を痛めた彼は、21日まで患部をギブスで固定していた。チームの練習に加わったのは大会直前だったが、背番号8のストライカーは68分に結果を出す。名波のパスを受けて、右足で同点弾を突き刺した。
清商は後半終了間際にも決定機をつかむ。しかし、田光のシュートは相手GKの好守に阻まれ、勝ち越し点を奪うことができない。40分ハーフのゲームは同点のまま終了し、決着はPK戦へ持ち込まれる。ここでもサドンデスまでもつれたが、7-6でどうにか振り切った。