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選手権で早期敗退も「高校サッカー史上最強校」 名波浩、山田隆裕、大岩剛がいた“30年前の清商伝説”とは
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2021/01/09 17:03
高校サッカーには数々の伝説のチームがある。全国制覇した名波(前列右端)らが所属した清水商もその1つだった(写真は1989年)
インターハイで大敗した大宮東にとって雪辱の場
清商対大宮東のカードは、1989年度のインターハイ決勝の再戦だった。結果は6-2だった。清商が圧倒的な強さを見せつけた一戦は、大宮東にとって屈辱の記憶であり、負の連鎖の始まりでもあった。
同年の選手権出場を逃した大宮東は、新チームになっても結果を残すことができない。関東大会もインターハイ予選も決勝戦にさえ進めず、ようやくつかんだ全国の舞台が選手権だった。
3年生のセンターフォワード秋元利幸は、清商との再戦に意欲をかきたてていた。
「僕らは2回戦からの出場で、ひとつ勝てば3回戦で清商と対戦できる。インターハイ決勝で負けた雪辱を晴らしたいという気持ちは、選手みんなが持っていました」
1-1のままゲームが推移する後半途中に、清商の大滝監督は田光を投入する。しかし、名波がいつものようにチャンスメイクできず、山田のサイドアタックも散発では、田光のシュートセンスも生かされない。
「トーナメントを勝ち抜くのは難しいですね」
大宮東の執拗なディフェンスに押し切られ、清商は後半終了のホイッスルを聞く。それはつまり、2試合連続のPK戦を告げるシグナルである。
11メートルの距離を隔てた神経戦は、両チームとも3人目まで成功する。徐々に重圧が増していくなかで、清商の4人目のシュートがGKに阻まれる。大宮東は4人目も決め、清商は先行される。
5人目で登場した薩川のキックも、ネットを揺らすことはできない。大宮東の選手たちはGKのもとへ駆け寄り、清商の選手たちは冬枯れの芝生に崩れ落ちた。
「トーナメントを勝ち抜くのは難しいですね」
ベンチ裏で記者に囲まれた大滝監督は、硬い表情で切り出した。すぐに言葉が続かない。悔しさを押し殺しているようだった。
「対戦相手はひたむきに立ち向かってきた。前に蹴ってくる相手の攻撃に我慢して戦うのは難しい。それが、トーナメントの勝ち方なんでしょうね。厳しくチェックされても我慢してプレーしたウチの選手たちには、ごくろうさんと言ってあげたいです」