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選手権で早期敗退も「高校サッカー史上最強校」 名波浩、山田隆裕、大岩剛がいた“30年前の清商伝説”とは
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2021/01/09 17:03
高校サッカーには数々の伝説のチームがある。全国制覇した名波(前列右端)らが所属した清水商もその1つだった(写真は1989年)
県予選が免除されてチーム力が上がらなかった
実は静岡県予選で、清商は戦っていない。名波と大岩が出場した11月のアジアユース選手権決勝大会と静岡県予選の日程が重なったため、推薦出場という枠が設けられたのだった。埼玉県の武南、千葉県の習志野、長崎県の国見も、同様の理由で推薦を得ていた。
結果的に、清商は9月中旬の全日本ユース選手権を最後に公式戦を戦っていなかった。全国でも有数の激戦区である静岡県予選を通して、チームと選手が成長する機会を失ってしまったのである。
もっと言えば、ユース代表や国体選抜などに絶えず主力を供給してきたため、チーム全体で練習をする時間も限られていた。ライバルたちが冬に向けて戦術的な練度を上げていく時期に、清商は異なる時間軸を過ごさざるを得なかったのである。
強豪ゆえの悩みもあった。出場した大会で漏れなく優勝を勝ち取ってきたということは、消化試合数がそれだけ多かったということだ。11月のアジアユース決勝大会をケガで欠場した山田は、インターハイ途中でも右足太ももを痛めていた。チームのキャプテンは選手権のピッチに立っているものの、左足太ももにはテーピングが巻かれていた。
主力の離脱は分厚い選手層でカバーしてきた。大滝監督はブラジルからフィジカルトレーナーを招聘し、コンディショニングに細心の注意を払っていた。それでも、山田や田光といった重要なピースがトップフォームでなかったのは、トーナメントを勝ち抜くための運やツキに恵まれていないことの暗示だったのかもしれない。
名波、山田が密着マークに遭い続けると……
そして、1月4日の3回戦で大波乱が起こる。
冷たい風が吹き荒れる千葉総合グラウンドで大宮東と激突した清商は、前半早々に先制点をマークする。ところが、2点目が遠い。
ゲームメーカーの名波が、キャプテンの山田が、激しい密着マークに遭う。彼らが目の前の敵を剥がしても、すぐに2人目、3人目の選手が襲いかかってくる。ボールポゼッションで圧倒的に上回り、ワンサイドで押し込んでいるというのに、清商の選手たちの表情は険しいのだ。
前半終了間際の36分だった。自陣でパスカットされたボールをつながれ、大宮東に同点弾を喫してしまうのである。この試合で清商が許した初めてのシュートが、前後半を通じてたった一度だけ与えた決定機が、失点に結びついてしまったのだ。