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「寸止めはやめなさい!」顔面打ちアリ&絞め技も…60年前の早すぎた“幻の総合格闘技”日本拳法空手道とは?
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph byJiji Press
posted2020/12/30 17:07
昭和30年代の空手道場の風景
一、試合は五・三m~六・二m以内のリングで行う。
二、選手は、上半身は裸体、もしくは半袖シャツを着用。下半身はショートパンツかロングタイツ。足は素足。保護カップ(ファウルカップ)は必ず着用する。両手に軟式グローブ(ボクシンググローブ)を、両肘には布製の特製サポーターをはめる。
三、軽量級(56・25㎏以下)・中量級(56・25~67・5㎏)・重量級(67・5~78・75㎏)・超重量級(78・75㎏以上)の四階級に分類して、それぞれの階級で試合を行う。
原則として上の階級の選手が下の階級の選手に挑戦できないが、下の階級の選手は介添人(セコンド)の許可さえあれば挑戦できる。その際、三貫(11・25㎏)の体重差がある場合、上の階級の選手は小さいグローブをはめることが義務付けられる。
四、審判は主審(レフェリー)一名、副審(ジャッジ)が三名とする。
主審は反則を注意、警告し、命令に従わない選手を失格させることができる。また、試合展開が一方的な場合や、負傷で試合続行が不可能と判断した場合、試合を止める権限を持つ。
五、介添人(セコンド)は二人まで認められる。
六、競技時間は三分を一回(1ラウンド)とし、三回以上五回以内と決められる。なお競技間の休憩(インターバル)は二分とする。
七、勝敗は次の通り決せられる。
判定。棄権。反則。打倒(KO)。技術勝ち(関節技、絞め技による一本)。
八、反則は以下の通り。グローブの親指で相手の眼への攻撃。相手の耳より後ろ(後頭部)への攻撃。噛みつき。膝への蹴り。顔面への頭突き。急所打ち。倒れている相手への攻撃。立ち上がりかけている相手への攻撃。ロープを掴んでの攻撃。相手や主審への暴言。
もしも山田の“空手”が実現していたら
筆者が目を見張ったのは、極めて合理的であることだ。畳ではなくリングでの試合を想定し、空手競技を前提としながら空手着の着用を義務付けていないのは、もはや驚嘆に値する。
もしこのとき、山田の思想が流布され、多くの賛同者を得ていたとすれば、道着に固執しない空手競技が標準化し、「空手」と言えば今で言う総合格闘技を指し、それが国体、五輪競技に発展していた可能性も大いにある。
そして、これを昭和30年代に考え出していたことは奇跡に近い。
生前の野口修は山田辰雄について「つくづく頭の硬い人だった。堅物。頑固で融通が効かない」と度々口にしていたが、実像はまったくそうではなかった。自由で柔軟かつ合理的な発想を具体的に形にできる、極めて優秀なクリエイターだったことは判然とする。
では、なぜ山田辰雄と彼の率いた日本拳法空手道は歴史に埋もれることになったのか。
なぜムエタイとの他流試合を断ったのか?
1964年、NETのボクシング中継のプロモーター契約を切られた野口修は、ボクシングの興行以外でも大金を稼げる方法を模索する。
そこで企画したのが、タイの首都バンコクで行うタイ式ボクシング(ムエタイ)と、日本の空手家との他流試合だった。
先述したように、野口修が真っ先に出場を打診したのが、山田辰雄率いる日本拳法空手道だったのは、これまで述べてきた経緯を思えば当然と言うほかない。
しかし、山田辰雄はこの申し出を断ってしまうのである。