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“真空飛び膝蹴り”沢村忠はリアルに弱かったのか? 全241戦「フェイク試合だった」疑惑を検証する
posted2020/12/30 17:06
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
Sankei Shimbun
筆者がこのほど上梓した『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)は、“キックボクシングを創ったプロモーター”野口修の生涯、興亡、栄枯盛衰を描いたものだが、同時に往年のスーパースター、沢村忠の実力を改めて検証した唯一の本でもある。これまで数多の格闘家が現れたが、沢村忠ほど知名度の割に実力の査定がなされなかった人物も珍しい。
それは本書でも立証したように、241戦にものぼる試合のほとんどが「真剣勝負ではなかった」からであり、関係者やマスコミから「分析に値しない」と見られてきたからなのは間違いない。心情は理解できないでもないが、そのことと真の実力が如何ほどだったかは別問題だろう。彼がいなければ、現在の「キックボクシング」が定着することはおろか、「K‐1」などの打撃系格闘技が隆盛を迎えることもなかったはずだからだ。
沢村忠は強かったのか弱かったのか──本書とは別の視点もまじえながら、改めて検証してみたいと思う。
「おそらく、これは中国武術です」
沢村忠(本名・白羽秀樹)は幼少期より祖父の下で武道の鍛錬を積み、少年時代はボクシング、高校時代はバレーボールに熱中、日本大学藝術学部入学後は剛柔流空手道部で、蹴り技の名手として鳴らしている。
伝統派空手の四大流派(松濤館流・剛柔流・糸東流・和道流)の中で最も実戦に近いとされる剛柔流は、沢村忠のみならず、極真空手創始者の大山倍達、極真会館最高師範をへて新格闘術を興す黒崎健時、沢村忠と同じ黎明期のキックボクサーで、のちに数多の後進を育成する藤本勲など、格闘技界を牽引する人物を輩出している。彼が生来より“実戦”を嗜好していた証左と言えるのかもしれない。
沢村忠と小中学校の同級生にして、同じく日藝の剛柔流空手道部に在籍した人物は筆者の取材に対し「彼は練習熱心でした。運動神経も抜群、呑み込みも早かった」と証言した。
さらに、興味深い証言を残している。