マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
創価大ひと筋37年…“グラウンドもない”弱小校の監督になり、小川泰弘、石川柊太ら球界のエースを生み出した男
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byJiji Press
posted2020/12/22 17:00
1984年から創価大野球部の監督を37年間務めてきた岸雅司監督
いつのまにか『怖い存在』になってたんだなぁ
岸監督は90人の部員全員と話をする機会をつくった。4人ずつの班に分けて、監督と1つのテーブルでじっくりと。
田舎の家族のことから、日ごろの学生生活のこと、もちろん野球の悩みに、調子が出れば彼女のことまで、話題は多岐に渡った。
「僕が監督になったのは28の時。それからこっち、僕自身はずっと28のままの意識でやってきた。兄貴みたいなイメージのね。ところが実際はどんどん年齢を重ねて、今は選手のお父さんだって、僕より年下の人がたくさんおられる。これが現実というものだね。いつのまにか、選手からは大きな存在っていうのか、『怖い存在』になってたんだなぁ……って、あらためて、よくわかってね」
八木智哉、小川泰弘、石川柊太……
創価大野球部からプロに進んだ投手たち、その何人もがチームの中枢として奮投している。
日本ハムで新人王を獲得した左腕・八木智哉に始まり、同じ日本ハムへ行ったフォークの使い手・大塚豊。今やヤクルトのエース・小川泰弘、ソフトバンクで育成入団からエース格にのし上がった石川柊太。同じソフトバンクには、2016年のドラフトで5球団が1位に指名した田中正義もいる。
大塚豊、小川泰弘、田中正義の時には、創価大のブルペンに入れてもらい、その全力投球を受けた。
なかでも、小川泰弘は、右の腕が肩からではなく、ハートから伸びているような投手。体の奥の、そのまた奥のほうでメラメラたぎるエネルギーを感じる投手だった。
「ランナーが出て、ちょっと危ないかなぁと思って、マウンド行くでしょ。そのとき、僕、必ずピッチャーに『よろしくおねがいします』って言って戻ってくるのね。そしたら小川、『まかしといてください』って、言ったよ。まかしてといてください、だってさ」
岸監督が泣きそうになっているように見えた。
「淡々と、平然と……どしっとしてね。八木だって、大塚だって、そりゃあ、いいピッチャーだった。でも、まかしといてくださいって、そこまでは言えなかったよね」