箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝を18秒差で逃した筑波大学 濃密な衝突と信頼の時間「いつ主将を辞めろと言われるか…」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/12/22 11:05
2年連続の箱根駅伝出場を目指した弘山駅伝監督と選手たち。左から、猿橋、大土手、西、上迫
刺激を受け合いながら、乗り切った選手
猿橋が言う。
「正直、コロナ後は目標にしていた試合が中止になったり、仲間に会う機会も減ってしまって、前向きになるのは難しかったです。ただ、同級生の相馬や児玉(朋大)と距離を空けながらでも一緒に走ったり、西が頑張っているのをフェイスブックで確認したりして、なんとかモチベーションを維持してました」
筑波大には選手と監督が共有するフェイスブックがあり、そこに部員が「今日やった練習」を書き込む決まりになっている。卒業後は実業団へ進み陸上を続ける予定の西が、黙々と長い距離を走り込んでいることが刺激となって猿橋らは前向きな気持ちになれたという。
ただし、選手の心の強さは一様ではなかった。
目標がどんどんと失われていく中で、やはり平静さを保つのが難しかった学生もいる。特に4年生は就職活動の時期でもあり、ただでさえ心に余裕を持つことが難しかった。
精神的にやられてしまったのは、意外にも主将の大土手だった。
それでも、大土手に主将でいてほしいと思った
「僕の場合、コロナで大変な時期と教育実習が重なってしまって、鬱のような状態になりました。もうまったく練習もできなくなって、いつ主将を辞めろと言われるか……。むしろそれを待っているような心理状態でした」
大土手は3年生の時から主将としてチームをまとめてきた精神的な支柱である。その選手が情緒不安定になるほど、コロナ禍は選手の心を追い込んだ。
主将の落ち込みは当然近くにいる部員たちにも伝わっていたが、あえて言葉をかけることはしなかった。大土手の態度に不満を持つ下級生もいたというが、それでも黙って見守ったのは「大土手がこのまま主将でいてほしいとみんなが思っていたから」と猿橋は話す。
チームが苦しいとき、大土手と駅伝主務の上迫彬岳が先頭に立って改革を押し進めてくれた。そのことへの感謝と信頼があるのだ。