箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝を18秒差で逃した筑波大学 濃密な衝突と信頼の時間「いつ主将を辞めろと言われるか…」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/12/22 11:05
2年連続の箱根駅伝出場を目指した弘山駅伝監督と選手たち。左から、猿橋、大土手、西、上迫
「筑波大、ガンバレ」声援は本当にすごかった
「箱根をもう一度経験して、今度こそ勝負したいというのがモチベーションでした」
そう話すのは、予選会で日本人2位の好成績を収めた猿橋拓己だ。
前回、筑波大は26年振りに箱根駅伝出場を果たし、夢にまで見た憧れの舞台に立った。チームの成績は最下位だったが、選手が貴重な経験を積んだのは間違いない。猿橋は3区を走り、区間16位。湘南の風は冷たくもあり、また温かくもあったという。
「本当に沿道の人の数がすごくて、声援をたくさんいただきました。他大学の幟を持っている人までが『筑波大、ガンバレ!』と。僕的にはどの大学よりも筑波の応援がすごかったんじゃないかと思ってます」
走り終えると、左耳がジンジンと耳鳴りしていた。それだけ沿道の応援が凄まじかった。自身の走りは満足のいくものではなかったが、一度あの舞台を体験したことで、箱根を走りたい思いはいっそう強くなった。それは他の部員も同じである。
1区を走り区間11位と健闘した西研人は、こんな希望を抱いたという。
「次は1区か2区で、今度こそ箱根を暴走したいと思いました。猿橋と僕で襷をつないで、序盤で良い位置に立ちたいなって。どっちがエース区間に行くかはわからないですけど、襷リレーをしたかったです」
ラストイヤーに襲い掛かったコロナ禍
本来であれば、例年以上にモチベーション高く、ラストイヤーとなるこの1年に向かっていけるはずだった。だが今年は、コロナ禍の影響で練習計画が一から見直しとなる。
4月1週目に大学からチーム練習の禁止が通達され、禁止措置が解かれたのは8月8日のこと。約4カ月もの間、選手は仲間内でのコミュニケーションも極力禁じられた。
モチベーションを維持することすら難しい状況下で、学生たちは腐らずに練習に打ち込めたのだろうか。