箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝を18秒差で逃した筑波大学 濃密な衝突と信頼の時間「いつ主将を辞めろと言われるか…」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/12/22 11:05
2年連続の箱根駅伝出場を目指した弘山駅伝監督と選手たち。左から、猿橋、大土手、西、上迫
「箱根は絶対に出るものだと思っていた」
1年半ほど前、陸上競技部長距離パートはチーム内の衝突から空中分解しかかっていた。当時の4年生と大土手ら3年生では練習に対する意欲に差があり、チーム全体としてまとまりを欠いていた。その時、「このままじゃダメだろう」と声を上げたのが、大土手であり上迫だった。「本気で箱根を目指す気があるのかどうか」を議論の中心に据え、学生たちは1日3時間近く、毎日のように話し合った。最後まで折り合いはつかず、溝が埋まらないまま多くの4年生がチームを離れたが、残った部員たちにとっては結束を深める良い機会でもあった。
あの時、上迫には譲れない信念があったという。
「僕たちの代はわりと強い選手が多くて、下級生の頃から相馬を中心に競技に向き合う姿勢を高く持ってきたんです。箱根は絶対に出るものだと思っていたし、3年生の内に発生しうるすべての失敗をし切って最終学年を迎えたかった。だからあのタイミングでチームを改革したかったんです」
弘山監督がルーキーだった彼らにかけた期待
彼らがまだルーキーだった頃、筑波大を取材した際のメモには監督のこんな言葉が残っている。
「今年の1年生は5000m14分台を持つ選手が9人もいるんです」
今や14分台中盤のタイムは高校生でもめずらしくないが、国立大となると話は別だ。選手の勧誘はしても、特別な奨学金が出るわけではない。選手は必ず、筑波大の試験をパスしなければならない。専用の寮もなく、上迫らが2年生の頃はまだ学生たちが交代で夕食の当番を担っていた。そもそも高校生たちにアピールできるポイントが少ないのだ。
そこから徐々にクロカンコースを整備するなどして練習環境を整えた。練習メニューをより強度の高いものにしていけたのは、厳しい指導に食らいついていく学生たちの努力があったからだ。