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箱根駅伝を18秒差で逃した筑波大学 濃密な衝突と信頼の時間「いつ主将を辞めろと言われるか…」

posted2020/12/22 11:05

 
箱根駅伝を18秒差で逃した筑波大学 濃密な衝突と信頼の時間「いつ主将を辞めろと言われるか…」 <Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2年連続の箱根駅伝出場を目指した弘山駅伝監督と選手たち。左から、猿橋、大土手、西、上迫

text by

小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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Hideki Sugiyama

前回の箱根駅伝に26年ぶりの出場を果たした筑波大学は、2年連続の出場を目指して挑んだ今年10月の予選会で18秒差で敗れた。国立大学という大きな“ハンデ”を背負いながら数多の強豪校と互角に戦った彼らは今、何を思っているのだろうか。(全2回の1回目/後編はこちら

 あのシーンを思い出すと、今も少し悔しくなるのだろう。

 筑波大学駅伝監督の弘山勉は、冷静な口調の中にわずかな悔恨をにじませた。

「秒差を知ったのは落選した後です。10位に入れなかった時点で学生たちはもう泣き崩れて、その後すぐに場内アナウンスで『11位、筑波大』と。それを聞いてなおさらショックでガクッと来ました」

 今年の箱根駅伝予選会で、筑波大は惜敗を喫した。箱根駅伝本戦出場を最後に決めた10位の専修大とは、タイムにして18秒差。予選会は各校上位10名の合計タイムで争われるため、1人に換算すればわずか2秒足らずの差でしかなかった。監督も選手も、悔しさはひとしおだっただろう。

「ちょうど私の横に大土手(嵩)駅伝主将がいて、彼も泣いてましたし、エース格の1人である相馬(崇史)は嗚咽が止まりませんでした。以前から足に力が入らなくなる症状がたまに出るんですけど、それがあの大事な試合で出てしまった。もちろん彼が責任を感じることはないんですけど、心情的にはよくわかりました」

相馬がいたから、4年生は強くなった

 相馬はここ数年の筑波大の躍進を象徴する選手である。筑波大が“箱根駅伝復活プロジェクト”を立ち上げたのが2011年のこと。15年にはOBの弘山が駅伝監督に就任し、相馬はその2年後に入学した。駅伝の強豪校、長野の佐久長聖高で駅伝部のキャプテンを務めていた相馬はチームが強くなるために欠かせないピースだった。

 チームがまだ予選会を突破できずにもがいていた頃、相馬は1年目から関東学生連合チームのメンバーに選ばれ、2年生の時には箱根の5区を走った。箱根を走るためのモノサシが身近にあったことで、今の4年生たちは強くなったのだ。

 筑波大史上最強の世代を擁していながら、2年連続の箱根駅伝出場にはわずかに届かなかった。彼らは今、18秒差の敗戦にどんな意味を見いだしているのだろう。

【次ページ】 「筑波大、ガンバレ」声援は本当にすごかった

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