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“史上最強のホークス”を松中信彦と斉藤和巳が語る「甲子園の地鳴りと博多駅の激励」【内弁慶シリーズ】
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/11/23 17:01
「王監督の胴上げ、きれいなんですよね」当時の主砲とエースが最強ホークスを語る
つるむと傷の舐め合いになりますから
'03年のホークスの強さを、松中は次のように分析する。
「当時は個性派ぞろいで、主力はみんなでメシに行ったことがない。変につるんだりしないんです。つるむと傷の舐め合いになりますからね」
松中がホークスに入団したのは'97年、福岡移転から9年目で、チームはまだ南海時代のたるんだ空気を引きずっていた。
「ぼくが若手のころのホークスは淡々と野球をして、負けてもトランプや将棋、おしゃべりに興じていました。負けても“しょうがない”で済まそうとする。そんなチームが勝ち始めたのは、真剣に野球談議をするようになったからです」
南海時代からの選手が徐々に減り、代わって福岡移転後に加わった選手が増えたことで悪しき伝統は消えていった。
「野球のことで熱く議論する選手が多数派になれば、チームは強い。そうなると、将棋なんかできないですからね。最初は小久保(裕紀)さんだけでしたが、そこにぼくや城島や井口が加わった。城島なんて工藤(公康)さんや武田(一浩)さんに、“お前に俺の球は捕らせん”なんて叱られていましたが、部屋まで押しかけて“何がいけないんですか”と食らいついていましたよ」
王監督の言葉に何度救われたことか
敗北に慣れ切った馴れ合い集団が勝負に徹するプロへ変貌したのは、ひとりのカリスマを抜きにして語れない。王貞治監督だ。
斉藤が証言する。
「王監督は誰よりも熱い。ベンチの中で怒鳴り散らします。序盤でノックアウトされようものなら、“いまからブルペン行って100球投げてこい”なんて無茶苦茶なことを言う。でも王さんは切り替えが早くて、過去は過去、ぼくらのミスも過去のものとして葬り去ってくれるんです。ノックアウトされて怒鳴りつけられ、翌日、もやもやした気分で球場に行くと、あの笑顔で“肩の調子はどうだ?”なんて声をかけてくれる。その言葉に何度救われたことか……」
続いて松中。
「いまの監督は、みんな腕を組んで立っているじゃないですか。王監督は違いますよ。自分が打席に立つかのように身を乗り出し、誰よりも喜怒哀楽を表に出す。負けると決まってミーティングがあって、そこでも“淡々と野球をするな。勝ったら喜べ、負けたら心底悔しがれ”と言い続けていました」