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箱根駅伝まで3カ月 「走る量は6割に減ってしまった」早大競走部は“合宿NGの夏”にどんな練習をした?
posted2020/09/28 17:30
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
Satoshi Wada
新型コロナ禍の夏、おそらくほとんどの大学駅伝のチームが例年とは違った夏を送ったことだろう。通常より規模を縮小しつつも、感染防止を徹底しながら夏合宿を行ったチームばかりだった。
それでも、蒸し暑い関東平野を離れて、比較的涼しい高所で夏合宿をできたチームはまだいい。
早稲田大学の場合、7月、8月に予定していた合宿が、大学の許可がおりず、すべてキャンセルになってしまったのだから……。
PCR検査前日に、いきなり「合宿禁止」
早大は、本来であれば、7月下旬~8月上旬に熊本・水上村で1次合宿、8月中は長野・峰の原高原、新潟・妙高高原で2次合宿、さらに、9月中旬からは岩手(奥州、花泉)と山形・蔵王高原で3次合宿と、例年通りに夏合宿を実施する予定だった(そもそも、東京五輪が開催されていればまた違った日程だったが)。
実は7月20日頃に相楽豊駅伝監督と話をした際には、「PCR検査を受けてから、夏合宿に入る」と話していたのだが、そのPCR検査を予約していた日の前日に、急遽、大学の理事会で合宿禁止が決定した。
新型コロナ禍の自粛期間明けの7月には、ホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会で中谷雄飛(3年)が5000mで13分39秒21の自己記録をマークしたのをはじめ、2度の早大競技会でも自己記録樹立者が続出。昨年課題を残したスピード強化に一定の手応えを得て、いよいよ駅伝シーズンに向けた脚づくりが始まるという矢先だった。
法政さんに電話「日帰りで走りに行けるところはありませんか?」
長梅雨が明けて8月に入ると、日本列島は記録的な酷暑に見舞われた。結局、早大は、拠点とする埼玉・所沢で学内合宿という形をとることになったが、当然、猛暑が大敵となった。相楽監督が振り返る。