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久保建英がいることで視える世界。
カズを見て校庭を走り回ったように。 

text by

中野遼太郎

中野遼太郎Ryotaro Nakano

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photograph byMutsu Kawamori/AFLO

posted2020/08/10 11:50

久保建英がいることで視える世界。カズを見て校庭を走り回ったように。<Number Web> photograph by Mutsu Kawamori/AFLO

「世界」にいる久保建英を見て、同世代の選手や少年少女たちは何を感じるか。

心の片隅に灯るであろう、嫉妬や焦燥。

 僕がビールを片手に、久保選手のプレーを「単純に」楽しんでいるとき、そこには分析もなければ、嫉妬も焦燥もありません。観戦中も「ふぅ!」とか「かぁ!」とかいう擬音しか発していないので、妻に「また久保くん見てるでしょ」と呆れられるくらいです。

 しかし、「これからの世代」は、全く異なる眼差しで彼を見ています。その中の一部は既に、彼が活躍することで、心の片隅に炎が灯るような、嫉妬や焦燥を抱えていることでしょう。僕が久保選手を見るときに熱くなる場所とは、まったく別の心の箇所を熱くしながら、彼を見つめる選手または少年たちが確かに存在するのです。

 もちろん、片手に持つのはビールではなく、プロテインでしょう。

音を立てて「限界」を壊す久保。

「前例」は擬似体験になりえます。

 一指導者には壊すことが難しい「日本人の限界」という心のリミッターを、今の久保選手の活躍がガシガシと壊しているような気がしてなりません。目には見えませんが、音くらいなら聞こえてきそうです。

 僕は小学生の時に三浦知良選手を見て「日本代表でいちばん上手な選手」になれば、イタリアでサッカーができるんだ! と思いながら、校庭を「カズ」になりきって走り回りました。それから25年が経って、数々の素晴らしい選手たちのおかげで、その順序自体が入れ替わり、「海外でプレーすること」はいまや代表に選ばれる必要条件になりました。絶対条件になる日も限りなく近いかもしれません。

 だから僕は「久保選手を当たり前に見て育っていく世代」に対して大きな期待を寄せてしまうのです。彼らには「世界」はどう見えているのでしょうか。それは僕ら世代が10代の時に見た「世界」とは限りなく違う視え方をしているはずです。

 そして僕自身も指導者として、「異なる世代」(上も下も)が切り取る世界の見方を盲信も否定もすることなく、有機的に関わっていけるようにしたいと思います。できれば小さな「前例」となれることを自分自身に期待しながら。

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