フットボールの「機上の空論」BACK NUMBER
久保建英がいることで視える世界。
カズを見て校庭を走り回ったように。
text by
中野遼太郎Ryotaro Nakano
photograph byMutsu Kawamori/AFLO
posted2020/08/10 11:50
「世界」にいる久保建英を見て、同世代の選手や少年少女たちは何を感じるか。
指導者が関われるのは個人と組織まで。
おそらくサッカーにおける視座は、「個人」「組織」「世代」の3種類に分けることができます。選手1人ひとりが持つ「個人」の視座、その集合体である「組織(クラブ)」としての視座、そして大きな横軸で共有される「世代」の視座があり、どれも可視化することはできませんが、プロアマ問わず、選手のキャリアにおいて大きな役割を担っています。
ここで重要なのは、僕のような指導者が選手に働きかけることができるのは、「個人」と「組織」までであり、「世代」の視座は操作できないということです。
「ある年代」における思考傾向というのは、一指導者がタッチできる領域を大きく超えています。もちろん「各選手がなにをどう視ているか」というのはチームにとって不可欠な要素ですし、「所属する組織がどこを視ているか」というのも選手にとって極めて重要なので、指導者の役割なんて取るに足らない、という意味では全くありません。
しかし一方で、最も潜在的に、そして継続的に選手の意識にアプローチしてくれるのは「世代」の視座ではないかと思っています。
自分が属する世代にとっての「当たり前」は、無意識のうちに思考・行動選択に強烈な影響を与えます。良くも悪くも「世界を切り取る窓枠のかたち」は世代によって傾向が存在していて、よほど思考的に独立した人材でない限りは、その「世代」の傾向の範疇で物事を視るようになります。そして、属するクラブが変わることはあっても、属する世代が変わることはないのです。
「世代」の視座を形成するのは?
ではサッカーの世界において、一指導者が大きく関与できるのが「個人」と「組織」だと仮定すると、この「世代」の視座を形作っていけるのは誰なのでしょうか。
ひとつは、各国のサッカー協会です。
日本においては、大会運営やその育成方針などを、全国的にデザインしていく力を「実際に」持っているのは、日本サッカー協会です。知識、技術、場所、経験を、国のサッカー協会がどのような経路で循環させていくかということが、若年代からシニアサッカーまで、あらゆる世代にとっての「サッカーの見方」を形作っていきます。地域やクラブという局所ではなく、世代という大きな横軸で捉えた時に、そこに「意図的」に触れることが出来るのは協会のような統括組織以外にありません。