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甲子園史上最も壮絶な乱打戦…「大逆転のちサヨナラ押し出し」帝京名将が振り返る“智弁和歌山に負けた15年前”
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKYODO
posted2021/08/28 06:00
甲子園を唸らせるほどのすさまじい帝京と智弁和歌山による乱打戦。敗れた帝京の選手たちが名将の心を揺さぶった
甲子園がどよめくなか、大きな疑問も残った。3人の投手を使い果たしたのである。
だが実は、帝京には「隠し玉」がいた。
猛攻のさなか、前田はすでにその投手に準備をさせていたのだ。
9回裏、マウンドに上がったのは、センターの勝見亮祐だった。この夏の公式戦は初登板となるが、2年生の夏は背番号「1」。打撃を生かすため野手に転向してからも投球練習は続けており、練習試合にも登板していた。前田が不敵に笑う。
「大逆転して『よし!』と思いました。勝見がいるから何の心配もいらない、と」
直球の最速は140kmを超える。一方、懸念材料がなかったわけではない。性格はまじめで繊細。肩関節と肩甲骨が硬く制球力に多少の難がある。だが、ど真ん中に投げ続けても4点差なら守り切れる――前田は全てを承知の上で、勝見に命運を託した。
中村も、塩沢も、監督の視線から目をそらした
しかし結果的に、起用は裏目に出た。
2者連続四球。その間、ストライクは1球だけだった。動揺に付け込まれた勝見は、4番の橋本良平に一発を浴びた。今度は智弁和歌山の追撃に甲子園がどよめき出す。
「あの雰囲気で、勝見は緊張したんだろうね。打たれたのはしょうがない。まだ1点勝っていましたから。でも、そのあとのフォアボールがよくなかった」
ストライクが入らない。勝見の乱調は想定外ではあった。それでも、日頃から投手経験者に投球練習を継続させている帝京には、二の矢、三の矢の選択肢がまだあった。
前田が瞬時に思考を巡らせる。
「よし、晃で行こう!」
左投げのファースト・中村晃(現・ソフトバンク)に目で合図したが、中村は後ろを向いてしまう。
「ならば、塩沢はどうだ!?」
1年秋にエースを務め、腰の故障で野手に専念したレフトの塩沢佑太に鋭い視線を送るも、塩沢も目線を落とした。
前田は憤慨せず、冷静に次の手を考えた。
「甲子園は特別な場所で、しかもあの場面ですから。『俺が抑えてやる!』って気持ちがないとリリーフは務まりません」
無死一塁から指揮官が5番手に選んだのは、1年生のショート・杉谷拳士だった。