球威はないが度胸があり、ストライクを投げられる。「フォアボールさえ出さなければ」。望みはそれだけだった。

　だが杉谷は死球を与え、1球で降板した。

「やはり荷が重かったんだろうね」。杉谷をショートに戻した時点で、前田に勝利のカードは残されていなかった。

　6番手に起用した岡野裕也は打撃投手専門で、本来は登板予定がなかった。ストレートも変化球も平均以下。取り柄は、ストライクを投げられることだけだった。

　指揮官の期待は、岡野がストライクを投げ、打球が野手の正面を突いてアウトを稼ぐこと。まずは、馬場一平をレフトフライに打ち取り1死一、二塁。前田は、続く代打の青石裕斗が分水嶺になると睨んだ。

　だが、無情にも岡野のボールはセンターに弾き返され同点。次の打者に四球を与え満塁となったところで、前田は腹を決めた。

「もうダメかな、と感じましたね」

　激闘の終幕は押し出し四球だった。スコアは12対13。帝京はサヨナラで敗れた。

「後にも先にもあんな経験は初めて」

「やれることは全部やった」と前田は言う。

　敗北の悔しさはある。しかしそれ以上に、13得点が入り乱れた9回の攻防は、前田の心を揺さぶった。感動は今も鮮明に蘇る。

「後にも先にもあんな経験は初めて。甲子園が唸った！　もう、地鳴りのような響きが、本当にすごかった。そんな試合をしてくれた生徒には本当に感謝していますよ」

　奇襲から始まった大激戦。57歳の名将は「諦めない姿勢」を改めて胸に刻んだ。聖地で74試合戦い、71歳となった今も、教訓として選手たちに説き続けている。

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